青山ミチが亡くなってもう一年が経とうとしている。
彼女はポリドールから1962年13歳でデビューした歌手。進駐軍黒人兵と日本人の間に生まれた彼女は、持ち前のパンチが効いた歌唱力で一世を風靡した。
1963年には「ミッチー音頭」が大ヒットして一躍人気者になってしまう。音頭というタイトルが付いているが、リズムはツイストである。
続いて1965年には「涙の太陽」がイギリス人のクォーターであるエミー・ジャクソン(コロムビア系CBS)との間で競作となり、話題性もあってヒット。
そして1966年秋も深まって新曲「風吹く丘で」(作詞橋本淳、作曲すぎやまこういち)も発売を待つばかりという時、不祥事を起こしてしまう。そして「風吹く丘で」は出荷停止、回収となり、ミッチーはポリドールをクビになる。
そしてすぐクラウンに移籍して、演歌やムード歌謡に転向し12月には新しいレコードを発売してる。(当時は初犯で起訴猶予でも半年間謹慎という習慣がなかったのか?)
クラウン時代のヒット曲は68年2月の「叱らないで」。この曲は彼女自身の人生を歌ったものとして、未だにカラオケで愛され続けている。
しかし彼女は立ち直れず、二度三度の不祥事を起こし芸能界から干されてしまう。
誰が彼女に薬を教えたかは明らかでない。彼女自身の甘えもあったのだろうが、果たして彼女一人の責任だったのかどうか考えてしまう。
「風吹く丘で」は編曲を変えて、ヴィレッジシンガーズの新曲「亜麻色の髪の乙女」して日の目をみる。奇しくも発売されたのは、「叱らないで」発売と同じ68年2月だった。
ちなみに歌詞にも出てくる亜麻色の髪の乙女とは青山ミチではないかと言われているが、亜麻色とは黄色い薄茶色。例えば金髪から艶を抜いたような色である。
ウルトラセブンの「アンドロイド0指令」(おもちゃが兵器になる話)に出演した小林由岐子のウィッグは発色の綺麗なディスプレイで見ると綺麗な金髪だが、ウチのブラウン管テレビがくすんでいたので全くつやが見えずに亜麻色に見えた。
ちなみに「亜麻色の髪の乙女」とはそもそもフランスの有名な詩人が書いた詩であり、ドビュッシーがそれから着想を得てピアノ前奏曲にしたものだ。
敢えてドビュッシーの有名曲に題名を合わせたのは、「風吹く丘に」よりもインパクトの強い曲名にして厄除けをしたかったのではないか。