戦争で焼け出された人々が肩を寄せ合って生きてきた浅草バタヤ部落の生活改善のため、命を懸けて戦った北原怜子(さとこ)さんの短い人生を描いた作品。
東宝争議で労組のリーダーとなりレッドパージされた五所平之助監督の監督作品。文部省特薦映画で、60歳以上の人は学校で見せられた人もいるはず、必ず泣けること請け合い。
主演は千乃赫子(ちのかくこ)、朝丘雪路と同期の宝塚娘役出身でこれが映画デビュー作だった。共演は南原伸二(宏治)、丸山明宏(美輪明宏)、佐野周二、岩崎加根子、水原真知子など。
あらすじ
1950年のある夜、昭和薬専を卒業した北原怜子(千乃赫子)は、美しい青年ジャン(丸山明宏)の寂しい歌声に惹かれて、バタヤ部落に入り込み、そこに住む子供たちが満足な教育を受けていない事を知る。翌日からも押し掛けて、子供たちの家庭教師を引き受ける。廃品回収を営む貧しい大人たちにとっては、労働力を減らすことになるので、反対の声が上がった。しかし東京都から公有地の不法占拠として立ち退きを求められていた部落の会長(佐野周二)と台湾から引き揚げたインテリ松木先生(南原伸二)は、バタヤ部落のイメージアップを図るために怜子の純粋さを利用しようと考える。
彼女は、カトリック洗礼名がエリザベト-マリアだったので、「蟻の街のマリア」として一躍マスコミの寵児となる。彼女はそういう形で注目されることが嫌だったが、松木先生は彼女に「あなたは自分の役割が何か考えて、動いてもらわないと困る」と冷たく言い放つ。会長はこの機会に蟻の街に共同会館を建てることを目指す。東京都は抗議するが、知人のゼノ神父の教会を建てると言うと、東京都も強く出られなかった。
夏休みになって子供たちに学校から山や海を題材にした作文が宿題として出される。怜子は子供たちを実際に山や海に連れて行ってやりたいと考えるが、費用が5000円も掛かる。怜子が出しても良いのだが、それだと子供たちの親が乞食扱いしていると反発する。そこで炎天下に子供たちと汗を流して銀紙回収を自ら行う。それだけでは日に130円程度の日銭しか出来なかったが、知人の工場から出る廃材を回してくれることになり、子供たちと箱根小田原旅行に出かけることが出来た。どの夏休みの作文も初めて海や山を見た興奮に溢れていた。
しかし寒い季節になって、それまでの無理が祟って怜子は結核と腎臓病で倒れ、一年の転地療養を余儀無くされる。ところが、休んでいる間にバタヤ部落をめぐる環境が大きく変化した。近隣の焼跡部落が周辺住民やヤクザにより焼き討ちにあったのだ。
怜子は無理してバタヤ部落に戻ってくる。先生は埋立地に部落を移転する計画を東京都と進めていたが、東京都は代償に2500万円を要求した。とても部落の積立預金では賄えない。もう起床さえ出来なくなった怜子は部落に立て籠もる戦術を取り、先生に子供たちの作文を託して、都との折衝に送り出す。
ついに怜子の願いは通じ、蟻の会側の希望である1500万円に5年割賦まで東京都が条件を引き下げた。松木先生が涙ながらに報告すると、怜子もそれを聞いて微笑み、静かに息を引き取る。
雑感
おおよそ実話だ。北原怜子は1958年の1月にお亡くなりになった。劇中の松木先生は、松竹出身で台湾引き上げ組の著述家松居桃楼で、彼女や蟻の街に関する著述『蟻の街の奇蹟 バタヤ部落の生活記録』を元に歌舞伎座映画が製作して1958年12月に劇場公開され、大きな反響があった。
この映画が多くの人々の心を揺さぶったのは、理想を追い求める若い怜子が、松木先生の部落のために利用できるものは何でも利用しようとする偽善的行為と対立しながら、人間的に大きく成長する姿だ。
この映画で一番泣けたのは、利恵役の水原真知子の号泣シーンだ。病状を誰よりも心配してきた利恵が、怜子の臨終の場に付き添い堪えなくなり号泣するんだけど、この泣き方のタイミングが絶妙すぎる。その演技は松竹映画伝統の技で、泣くまいと思っていても、釣られて泣いてしまう。1950年代に活躍した女優だが、映画界から引退する直前の円熟した演技が楽しめる。
主演千乃赫子は映画出演が初めてなので演技は固かったが、かえって垢抜けないお嬢さまにぴったりだった。宝塚娘役出身の割には、色気は全くない人だったが、芸能界でも珍しい映画スタア同士の見合い(相手は東映の二枚目東千代之助)で結婚した。その後、ドラマではシブがき隊を売り出した3年B組金八先生第2シリーズで加藤優(直江喜一)の母を演じた。とくに第24話で息子が警察のバスに乗せられて補導されるのをいつまでも追い続けたシーンは有名である。
蟻の会は、東京都の進めた転地により江東区潮見に移転し、ゼノ神父の教会も移転して潮見教会になっている。
最後に製作者の歌舞伎座映画だが、松竹の子会社であり、東宝争議で進駐軍からレッドパージされた五所平之助を松竹で救済するために作られた製作会社である。松竹として監督させるわけにはいかないが、戦前は田中絹代と組んで松竹の名作映画を連発していた五所なので、子会社を使って復帰させたのである。
スタッフ・キャスト
監督 五所平之助
製作 加賀二郎
原作 松居桃楼(劇中の松木先生)
脚色 長谷部慶次
撮影 竹野治夫
音楽 芥川也寸志
配役
北原怜子 千之赫子(ちのかくこ)
怜子の父誠治 斎藤達雄
怜子の母幸枝 夏川静江
松木先生 南原伸二
大沢会長 佐野周二
大沢妻浪江 桜むつ子
岩さん 三井弘次
五三 多々良純
五三の妻 水原真知子
ジャン 丸山明宏
キティ 岩崎加根子
河津婆 飯田蝶子
常子 山岡久乃
浅野恵子 初井言栄
新聞記者木崎 渡辺文雄
都庁部長 松本克平