藍美代子は、中3トリオの二人桜田淳子、山口百恵と同じ昭和48年組と言うことになっているが、実は純エリ子の芸名でアイドルとして45年11月にデビューしているから、一応46年組に分類すべきだと思う。当時のライバルは小柳ルミ子、南沙織、欧陽菲菲、シモンズ、本郷直樹らであった。コロムビアレコードの所属でアイドルをやっていたが、「恋はチュチュチュ」ぐらいしか目立った曲はなかった。
そこで48年に渡辺プロのオーディションに合格しレコード会社もワーナーパイオニアに変えて、アイドルではない歌謡曲路線で藍美代子の再デビューとなったのだ。早速シングル一枚目「ミカンが実る頃」はスマッシュヒットとなった。あの頃は近所にミカン栽培農家がある地域例えば和歌山のある近畿地方では在阪局にこの曲のリクエストが集まった。愛媛も同様で彼女の人気は高かった。未だに昼の番組でリクエストがたまにあるほどだ。
https://www.youtube.com/watch?v=2s4BSZR0n0I
しかしその後は思うようにセールスが伸びなかった。本人がアメリカで音楽を勉強したいことがあって、ナベプロを退社し渡米。
ところが父が保証人になって借金を背負い込み、日本に呼び戻されて仙台のスナックを経営し何年もかけて1億円の借金を返済した。
その後は得意のジャズボーカルでCDを出したり、一昨年銀座にクラブを移転したりして未だにお忙しいご身分だ。
藍美代子 「ミカンが実る頃」 1973