小林旭夫人である青山京子が84歳で肺癌で亡くなった。彼女は、純粋なニューフェイス組でなく、1952年公開の東宝映画「思春期」公開オーディションで、高校を退学処分を食らってまでして2000人から選ばれた。言わば東宝シンデレラオーディションの先駆けと言える。その後は東宝アイドル女優路線を進み、1954年には「風立ちぬ」「潮騒」というアイドル文芸映画に主演する。彼女がいなければ、山口百恵の文芸映画も撮影されなかったかも知れない。
1958年フリーになり、時代劇向きの顔立ちを生かして、現代劇から時代劇に転向する。1967年小林旭(美空ひばりと別れていて再婚)と結婚して引退する。小林旭は日活倒産後、かなり浮き沈みのある生活を送ったが、最終的には大歌手として余生を送っている。それを後ろから強く支えたのが青山京子夫人であった。
この作品は彼女がフリーになってからのもの。若き日の信長が桶狭間(田楽狭間)の戦い前夜まで苦悩する姿を描く。白黒シネスコ作品。青山京子は重要な役で、信長(市川雷蔵)を仇と狙う女間者役を務める。アイドル女優時代の優しい面影は全くない。
ちなみに歌手の青山和子(1964年「愛と死を見つめて」でレコード大賞受賞)とは別人である。
あらすじ
尾張の織田信長は、今川義元が攻めてこようと言うのに、先代の家臣を信用せず全く動こうとしない。
あまりの空けぶりに家老職林佐渡守の嫡男美作守は、弟信行を立てて今川と和睦しようと策略する。彼は信長のお側に間者小萩を送り込み、あわよくば寝首をかこうとしている。
そんなとき家臣山口左馬之助の娘で弥生が人質として送り込まれる。彼女もまた寝首をかくことを父に言い含められ、信長の側に送り込まれたのだが、思った以上に大きな信長の魅力に取り込まれてしまう。
信長は木下藤吉郎など直参の下級家臣を使って、各地で諜報活動を行なっていた。そんな信長の傳役(お守り)を長年仰せつかってきた中務平手政秀は、親戚の手前父信秀の法事だけでも出席してほしいと言う。信長は着替えはするが、寺への途、自分が空けものだと今川にも評判が立っていることを知り、今さら法事へ出席する気が失せてしまう。
世間体を重んずる平手政秀はそう言う信長を諫めるため、自刃して果てる。それを知った信長は「態度を改める、しかし性根は変わらん」と涙ながらに本音で詫びる。(ここは長回しの名台詞である)
しかし平手三兄弟の末子甚三郎は信長を恨んだ。小萩の入れ知恵もあって、今川が攻めてくる前夜に寝首を掻こうとするが、寝言に亡父に語りかける信長を見て、決意を翻す。平手三兄弟は小萩と後ろ盾である林美作守を斬って捨てる。
信長は夜の嵐の様子に、今川本陣を人知れず衝く方法を思いつき、出陣を申し渡す。そして出陣の準備を待つ間、弥生の鼓で「敦盛」を舞うのだった。
雑感
青山京子の追悼目的で見たが、映画自体は面白い。原作は市川海老蔵(十一世市川團十郎)のために1952年に発表された大佛次郎の新歌舞伎であり、主従関係を現代風に濃密に描いている。映画でも一時間半に、戦国時代特有の「斬るか斬られるか」的主従関係を描き切っている。
市川雷蔵は太眉タイプのメークだが、後年の「忍びの者」の石川五右衛門よりは、侍大将風でずっと凛々しい。歌舞伎界の御曹司市川染五郎(当時、現二代目松本白鸚)を相手に新歌舞伎を演じさせてもらい、胸がすっとしたろう。
史実と比べると、平手政秀の自刃は桶狭間の戦いの直前ではなく七年も前である。嫡男五郎右衛門の馬を信長が欲しがったのは、史実のようである。
同作品はテレビドラマ化も二度されて、1961年に「名作菊五郎劇場」で市川海老蔵(十一代市川團十郎、今の海老蔵の祖父)が主演し、1964年「市川猿之助アワー」では市川猿之助(二代目市川猿翁)が主演している。
スタッフ・キャスト
監督 森一生
製作 三浦信夫
原作 大佛次郎
脚色 八尋不二
企画 辻久一
撮影 相坂操一
音楽 齋藤一郎
配役
織田信長 市川雷蔵
弥生 金田一敦子
小萩 青山京子
平手中務政秀 小沢栄太郎
平手五郎右衛門 北原義郎
平手監物 松岡良樹
平手甚三郎 市川染五郎(現二代目松本白鸚)
織田勘十郎信行 舟木洋一
林佐渡守 荒木忍
林美作守 高松英郎
岩室長門守 清水元
木下藤吉郎 月田昌也
幼少時の信長 太田博之(子役)
加藤清正 目方誠(子役)
山口九郎二郎 伊沢一郎
山口左馬之助 香川良介
大石寺覚円 佐々木孝丸