2016年は長編アニメーションの豊作の年だった。「君の名は。」は良くある入れ替わりものにタイムトラベルの要素を加えただけで、日本史上最高の興行収入を獲得した。「この世界の片隅に」は呉市大空襲を描いており、少数の映画館から公開されたが次第に上映館が拡大していき、ミニシアター作品では異例の大ヒットとなった。
そして「聲の形」はアンタッチャブルだった障害者問題を持ち出している。しかも問題はそこだけに限らぬ広がりを見せる。今は文科省指定映画として、教育現場で活用されている。
監督は「けいおん」の山田尚子、キャラデザは西屋太志、脚本は吉田玲子。声の主演は入野自由、早見沙織。
あらすじ
小学生の石田将也はクラスのガキ大将。そこへ聴覚障害者の西宮硝子が転校してくる。初めは物珍しく、そして何も物を言えないことにもどかしくなり将也は硝子を虐めるようになる。周りの級友も同じことを感じているのか何も言わない。いじめはエスカレートして、ノートを池に捨てたり、補聴器を壊したり。ついに硝子も怒って将也と取っ組み合いになってしまう。やがて硝子は転校してしまう。
学級裁判が行われ、将也のいじめが認定され、逆に将也がクラスから総スカンを喰らい、孤立する。将也自身も仕出かした事の重大性を理解して自己嫌悪に陥る。
友達も作れず、中学高校を過ごし、今年は高校三年生である。将也は生きていたくなり、自殺を決意する。その前にすることが2つあった。1つは硝子に謝罪すること。もう1つは母親に弁償してもらった硝子の補聴器代170万円をアルバイトをして返済すること。
まず、硝子を見つけ、謝罪するつもりが手話を間違えて「友達になってくれ」と言ってしまう。ところが硝子は快諾する。またアルバイト料が溜まり、母親に返済するが、息子が考えていることぐらいお見通しで「死ぬ気ならこの金を燃やす」と言われて、自殺を断念する。
やがて将也の周囲も賑やかになってくる。まず永束が友達になった。また硝子の妹である結弦と親しくなった。
将也と硝子は、勇気を持って小学校の硝子の友人を訪ね始める。級友の川井の紹介で佐原や植野と会ったが、みんなは昔の経緯など忘れたようで温かく迎えてくれた。
しかしみんなで遊園地に行った時、昔の悪ガキ島田と再会し、旧悪が暴露される。結局、昔の友人たちと仲違いしてしまう。
夏休みに入り、花火大会を硝子と見に行く。途中で硝子は家に帰ってしまう。将也が硝子の家の方に行くと、硝子はベランダから身を投げようとしていた。慌てて硝子に抱きつくと勢い余って、将也が川の中へ落ちてしまう。しばらく将也は入院していたが、ある夜川を見に病院を抜け出すと、硝子も来ていた。将也は思い切って「一緒に生きるのを手伝ってほしい」と告白する。
秋の文化祭になり、将也は硝子を誘う。二人を見て、喧嘩した永束たちとも将也は仲直りした。将也は少しだけ自分を許せるような気がした。
雑感
この映画に感動したと書くと、必ず感動ポルノの必然性はあったのかと批判が飛んでくる。全くその通りである。何故ならこの映画は、どうしようもないディスコミュニケーションの存在を描いていて、そこから我々が何ができるかを問題提起しているに過ぎない。
耳が良かろうと悪かろうと、人間は完全には伝えることができない動物なのだ。だからこそ、ぶつかって良いのだ。
原作者のエンディングと映画のエンディングは異なる。作者が、原作のハッピーエンドに多少なりとも不満を持っていたからだ。しかし映画のエンディングも原作者が目指したものとも違うだろう。個人的には映画のエンディングの方がおさまりが良い。
作品としては、省けるものはなんでも省いて原作七巻を上手くまとめていた。もちろん、あのエピソードも・・・というのがあったが、限られた時間内に収めるためにはある程度の切り捨ては仕方なかろう。
説明文を使わずに作画だけで表現するところもあり、京アニの高度なテクニックを見せつけられる。
スタッフ・キャスト
監督 山田尚子
脚本 吉田玲子
原作 大今良時(講談社コミックス刊)
キャラクターデザイン・総作画監督 西屋太志
配役
石田将也 入野自由(小学生時代 – 松岡茉優)
西宮硝子 早見沙織
西宮結絃 悠木碧
永束友宏 小野賢章
植野直花 金子有希
佐原みよこ 石川由依
川井みき 潘めぐみ
真柴智 豊永利行
聲の形 2016 京アニ制作 松竹配給 障害者問題だけでなくディスコミュニケーションに鋭く切り込む問題作