北条秀司の原作戯曲をもとに、名監督伊藤大輔が自身三度目の映画化をした作品。

泉州堺出身の将棋指し坂田三吉が、奇手を放って東京の関根金次郎八段を翻弄する姿が描かれる。

主演は、三國連太郎、淡島千景
共演は、三田佳子、平幹二朗。白黒映画。

あらすじ

明治四十年通天閣が望める、天王寺の裏長屋に職人坂田三吉と家族が住んでいた。彼は文盲であり草鞋作りを生業とするが、将棋大会さえあれば家財を質に入れ飛び出していった。
二人の子供を抱える女房の小春は、日雇いで家計を支えていた。三吉に愛想をつかし、何度も別れようとしたが、その度に子供のように謝る三吉を見ては別れられなかった。

ある日、関東のプロ棋士を招いて、大阪で将棋大会が開かれた。プロ棋士相手に得意の力将棋で勝ち続けて決勝に残った三吉は、若手のホープ関村七段(後の名人関根金次郎がモデル)と対決した。だが、三吉は千日手(当時は、千日手を始めた方が手を変えなければ反則負けであった)を知らずに、敗れてしまう。

三吉は、妻が信仰する法華経の妙見様のお厨子を質に入れて会費50銭を作ったので、妻は怒って電車にはねられて自殺しようとする。しかし寸前で目が覚めて、以後は三吉が将棋を指すのに文句を言わなくなる。
関村との試合で、三吉はその棋力を広く認められた。大会の有力者であった宮田と西村さらに毎朝新聞の大倉は、三吉に職業棋士になるよう勧めた。

十数年が経ち、今や坂田三吉はプロの七段になって、関東の覇者関村八段に挑戦することになった。二勝二敗となり五局目も終盤に入り、三吉の形勢は不利となってしまう。三吉は自棄で、銀を敵の歩先に打ちこんだ(泣き銀)。それに対し関村は、理由がわからず自滅してしまった。結局三勝二敗で三吉の勝利となった・・・。

雑感

1961年に村田英雄の演歌「王将」が発売され大ヒットした(その年のレコード大賞特別賞受賞)。それを主題歌にして、翌年に作られた将棋映画である。歌謡映画と言うほど、主題歌をフィーチャーしていない。ただし村田英雄自身が、坂田三吉の門弟榊原役で出演している。
泣かす演出もあるが、関村名人の祝賀会で手作りの贈り物(草履)を差し上げたところに、玉枝が母の危篤を知らせる電話をかけて来て、そこからの伊藤大輔監督の演出が長い。出掛けた涙も引っ込むほどだった。

そもそも「泣き銀」「銀が泣いている」という坂田三吉の逸話を、この作品は曲解した節がある。優勢な相手を誘うために銀を打ったのに、相手にしてもらえないことを「銀が泣いている」と表現したのだ。定跡でハメ手を指す場合を除き、中終盤に優勢になった敵を間違いに誘う手を打つことは、卑怯でも何でもない正当な手段だ。将棋というものは、王将を詰むまで勝負は終わっていない。

この「王将」と言う話は、1946年に坂田三吉が亡くなり、翌年新国劇で「王将」(原作戯曲:北条秀司)を上演したのが始まりだ。1948年には阪東妻三郎主演、伊藤大輔監督で大映が映画化した。伊藤監督は、7年後の1955年に「王将一代」と名付けて新東宝で辰巳柳太郎を主演に迎えリメイクしている。
さらに7年後の1962年に伊藤監督は、東映で二度目のリメイクをした。それがこの作品である。東映は1963年、新国劇の戯曲「王将」二部、三部を元にして伊藤大輔脚色、佐藤純彌監督で「続・王将」も作っている。そこでは坂田三吉が亡くなるまでを描いている。
昔に見たからはっきり覚えているわけでないが、阪妻主演の「王将」の方が面白かった気がする。そもそも映画の中での阪妻は坂田三吉にそっくりだ。

なお戯曲は史実を大幅に脚色している。大阪で上演したため、坂田贔屓にならないと客が怒るからだ。
妻の名は小春でなく、コユウと言う。鉄道自殺を図ったことは事実である。

淡島千景、三田佳子ともに好演である。
一方、主演はポスターを見たとき、てっきり伊藤雄之助だと思っていた。

 

スタッフ

企画  亀田耕司、吉野誠一
原作  北条秀司
脚色、監督  伊藤大輔
撮影  藤井静
音楽  伊福部昭
将棋指導   升田幸三

キャスト

坂田三吉  三國連太郎
妻小春  淡島千景
長女玉枝  三田佳子
玉枝(少女時代)岡田由紀子
関村名人  平幹二朗
後援者宮田  殿山泰司
後援者西村  花澤徳衛
坂田の門弟毛利  千葉真一
田河  河合絃司
大倉(大阪毎朝新聞記者)  神田隆 
棋士小崎  香川良三
お幸  赤木春恵
榊原  村田英雄

 

ネタばれ

しかし娘の玉枝は、打ち込んだ銀を批判し、ハメ手でなく真っ当な将棋を指して欲しいと泣いて訴えた。三吉は最初怒ったが、最後は反省して、浜辺で団扇太鼓を打って題目を唱えて泣いた。

大正十年、第十三世名人継承問題が起きた。関西将棋研究会は三吉を担ぎ出したかったが、三吉は、最も名人に相応しいのは関村八段であると言って断った。
関村名人襲位祝賀会が開かれ、上京した三吉は、手作りの草履を関村名人に送って祝った。
そこへ、玉枝が長距離電話を掛けてきた。小春が危篤だと言う。それには関村名人も言葉がなかった。すぐ小春は息を引きとり、彼女が握りしめていたお守り袋から王将の駒がこぼれ落ちた。

 

 

 

王将 1962 東映東京製作 東映配給 伊藤大輔監督三度目の映画化

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