たしかに1971年の新人賞レースは小柳ルミ子南沙織の対決だった。そこに遅れてデビューした天地真理を加えて新三人娘と呼ばれていた。和風アイドルの小柳、大学生のアイドルとなり自身も上智大に入学した南、低い年齢層にターゲットを向けた天地と三者三様の戦略を組んだが、少なくとも72年までは南がセールス的に完勝だった。ただし事務所と揉めたのも南で、78年にあっさり「学業に専念します」という理由で引退してしまった。実際は芸能界に疲れたんだと思う。最も長続きしているのは、現役を続けている小柳である。

71年組でデビュー曲が爆発的に売れたのに一発屋(正しくは三発屋)で消えてしまい、今だに復帰しないのが牧葉ユミである。
デビュー曲「冒険」を作ったのは作曲の加藤和彦と作詞・北山修だった。ノリが楽しくてオチの利いたこの曲はその年のレコ大作詞賞を獲得する。同じ年に作詞北山修で紅白歌合戦に出場したはしだのりひこ&クライマックス「花嫁」より歌詞として評価されたのだ。ノリの良い南沙織の「17歳」と比べると良い。リン・アンダーソンのカントリー・ヒット曲「ローズガーデン」を基にして筒美京平が曲を書いた「17歳」は当時の子供たちにとってリズムが変わっていて覚えにくい曲だったが、「冒険」はすぐ歌を覚えてしまうほど印象に残った。

しかしそれ以後は加藤、北山コンビから外れてGS歌謡曲路線に迷い込む。二曲目「見知らぬ世界」は湯原昌幸のデビュー曲をカバーして、湯原の大ヒット曲「雨のバラード」と同じ作曲家植田嘉靖(作詞こうじはるかは植田のペンネーム)のGS歌謡であるが、デビュー前の桜田淳子がスタ誕で歌ったことで知られる。

三曲目「回転木馬」(ベンチャーズ曲)山口百恵がやはりスタ誕で歌うなど、スカウト番組でよく歌われる曲であった。

レコード会社は彼女のヘアスタイルであるショートカット=女性あるいは両性向きと限定的に考えただろう。少し時代を先取りしすぎた。
その後は自ら近藤(相本)久美子を発掘して彼女がデビューする代わりに1975年に引退。でも事務所スペースプロも廃業してしまい、相本久美子は芸映に移籍。

彼女ほどの才能が引退しなければならなかったのは、レコード会社(テイチク)に良いプロデューサーがいなかったことが原因だろう本人や事務所が何と言おうと一つ路線を固めて2年は辛抱しなければいけない。
もしフォークバンドと組ませて売り出したら、彼女はもう少し活躍したと思われる。

牧葉ユミ 「冒険」 1971

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