トリニダード・トバゴやジャマイカの労働歌をもとにしてジャマイカ系黒人ハリー・ベラフォンテの唄った「バナナボート」が全米で大ヒットしたのが1956年。翌年には日本でもカバー曲で一儲けしようと各レコード会社が企画を立ち上げた。
その中でもビクターが「バナナボート」を歌う「カリプソ娘」を選ぶオーディションを開いた。カリプソとはスティール・パンを使うトリニダード・トバゴの民族リズムである。そこにぶっ飛びお姐さん浜村美智子(当時18歳、本業ファッションモデル)が抜群のスタイルを引っさげて現れ、審査員の心を鷲掴みにして「バナナボート」で歌手デビューすることになる。
キングレコードはすでにスターだった江利チエミに「バナナボート」を歌わせたが、今なら沢尻エリカ級に奔放な浜村にセールスで敗れる。ジャケ写を見れば分かるだろう。
何故生まれる前のことを知っているかと言うと、浜村がうちの母と幼馴染だったからだ。そのうち東京へ転居してしまったが、当時から強烈な個性を醸していたから、忘れようにも忘れられないそうだ。
その後「バナナボート」はゴールデンハーフや美空ひばりなどがカバーをしているが、やはり浜村美智子の明るさがかえって当時の暗さ(鍋底景気)を反射していて腑に落ちる。
おまけは最近の浜村美智子(健在です)と思ったが、声が出ていない。そらそうだよ、うちの母と一つ違いだもの。
そこで本家ハリー・ベラフォンテ70歳の時の熱唱をお送りする。こちらも90歳の今でもご健在だ。
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