宮本輝の原作(太宰治賞受賞)を
小栗康平が初めて演出した。
田村高廣、藤田弓子、加賀まりこ他出演。
キネ旬一位、日本アカデミー作品・監督賞、ブルーリボン作品賞、毎日映画作品賞、モスクワ映画祭銀賞。アカデミー賞外国映画部門ノミネート。
昭和31年、神武景気の頃。
うどん屋の一人息子信雄は9歳である。
ある日、橋で同じ年ごろの子どもと出会う。
キッちゃんというその子は母と姉と暮らす水上生活者だった・・・
おそらく梅雨時から天神さんまでの短い期間の物語だろう。
友達との出会いと別れ。誰でも心に引っかかるところのある話だ。
重森孝子の脚本のせいかもしれないが、小栗康平の演出も今見ると、いくつか疑問を感ずる。
(日本アカデミー監督賞にケチを付けるのも度胸がいる。)
過去の名監督と比べると、彼は子役の扱いがうまくなかったと思う。
モノクロ映画(西崎英雄撮影)だが、
モノクロにしたのは、昔っぽく撮りたかったからであろう。
しかし橋の様子は昭和31年のものではなかった。
最近の橋そのままだ。
従って、激しい違和感があった。
金を掛けられなかったから、橋のシーンだけ、田舎で撮り直すわけにはいかなかったのだろう。
その一方、出演陣は自主制作作品なのにバリバリに頑張っている。
彼らから実力を引き出す力を見ると、小栗康平監督もやはり巨匠の一人なのだろう。
大阪のローカル俳優さんたちも東京の大物との絡みに対して、存分に実力を発揮している。
とくに初音礼子には度肝を抜かれた。
最近下手くそな大阪弁を聞かされること(非大阪の関西人ほど、大阪弁が訛っている。)が多いが、
以前は大阪にもこういう生粋の役者さんがいたのだ。
田村高廣は年が行ってから息子に恵まれた甘い父親である。
しかし、天神祭の直前に蒸発したりして戦争に生き残ってしまった苦悩もあった。
加賀まりこが出てきたところで、この映画は少年の思い出(ファンタジー)だと気づいた。
あんな綺麗な水上生活者がいるわけがない(笑)
陸に上がってホステスでもして何不自由なく生活は出来るはずだ。
すべてが少年の主観で構成されていた。
NHKBSで見ているが、銀子チャンの風呂場のシーンの前に、父が子ときっちゃん相手に手品をしているシーンがある。
そこで既に風呂場のエコーがかかっていた。録音の問題だが何故だろう?
宮本輝は文章がうますぎる。
失業していた初期作品ですら綺麗な文章に感じる。
昔の貧乏私小説家と、豊かになり生活の不安もない今の万能作家の違いは大きい。
戦後派以降の作家は(一部の例外を除いて)生活感に乏しい。
後妻藤田弓子が病室の先妻八木昌子に詫びを入れるシーン。
しかし信雄の前では意地でもあんな事をやらないと思う。
私が信雄と同じ立場なので、母の気持ちはわかるつもりだ。

泥の河 1981 木村プロ

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