さらに曲リストを続ける。
◎海外進出の時代
「情熱の花」のオリジナルを歌ったカテリーナ・バレンテに呼ばれてオーストリアのテレビ出演。
好評を受けて、ドイツのテレビにも出演。
ドイツ語やフランス語でレコーディングしている。
さらにアメリカに渡り、エドサリバン・ショーとダニー・ケイ・ショーにも出演。
「フジヤマムーン」(ドイツ語録音)〜「ハピーヨコハマ」〜「マイファニーバレンタイン」
また日本を代表する歌手として、NHKが国際コンクールに参加した番組「若さとリズム」に出演。
「明日になれば」(安井かずみ作詞)〜「ウナセラディ東京」(和服姿で和風アレンジ)
◎路線変更・・・新しい時代の歌謡ポップスに挑戦した。
「さよならは突然に」
1972年、鈴木邦彦作曲、山上路夫作詞。R&B風歌謡曲。
「ガラスの城」
1968年、鈴木邦彦作品。GS風ブラスサウンド。
「ローマの雨」
1966年、すぎやまこういち作品。
◎女シリーズ(しっとり歌謡曲路線にも挑戦した。)
「サンフランシスコの女」
1970年、中村泰士作品。
「大阪の女」
中村泰士作品。北新地のママさんの定番カラオケだ。
「東京の女」
1970年沢田研二作曲。
◎そして引退へ
「ブギウギビューグルボーイ」
1974年最後の紅白出場曲。
1975年についに引退を発表。
リズムが8ビートから16ビートへ移り変わり、年齢的にも第一線で歌い続けることが難しくなったのだろう。
潔い決断だったと思う。

城達也の声が懐かしい。
高度成長時代に日本企業が海外進出する中で、それに合わせたかのように海外へ旅立ち、日本文化をアピールした功績は計り知れない。
本来は国民栄誉賞ものだった。

歌伝説 ザ・ピーナッツの世界(NHK BS2 )(3)

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