田舎町に文化会館を建設しようとする社会党市長の計画が招いた騒動を、セミドキュメンタリー・タッチで描いた風刺喜劇。
監督・脚本はエリック・ロメール。製作はフランソワーズ・エチェガレー。撮影はディアーヌ・バラティエ。
主演はパスカル・グレゴリーとアリエル・ドンバール。
共演はファブリス・ルキーニ、クレマンティーヌ・アムルー。カラー映画。
あらすじ
第1章 もし、1992年3月地方選挙の前夜に大統領選の多数派が少数派になっていなかったら
フランス・ヴァンデ県の田舎町サン=ジュイール。市長ジュリアン・ドショームは、大統領の属する与党・社会党から州議会選挙に出馬したが、社会党が少数派になりジュリアンも選挙に落選した。
第2章 もし、ジュリアンが選挙戦の敗北後に小説家ベレニス・ボリヴァージュと恋に落ちなかったら
落選したジュリアンは、女性小説家ベレニス・ボリヴァージュと出逢い恋に落ちる。
ジュリアンはサン=ジュイールに総合文化会館を建設する計画をボリヴァージュに打ち立てた。そして小規模農業中心の地元産業を、最先端技術を用いた大型農業に転換させようと目論んだ。
しかし、周囲の反応はあまり良いものではなかった。
第3章 もし、コミューンの草地にあるセイヨウシロヤナギが長年の破壊に奇跡的に耐えていなかったら
文化会館の建設予定地は樹齢100年以上にもなるセイヨウシロヤナギの木がそびえ立つ。計画通りいけば、木は伐採されることが確定的である。
それに対して小学校教師マルク・ロシニョールは、文化会館の建設に強く反対していたが、自分から動くつもりはなかった。
第4章 もし月刊誌「明後日」の編集者ブランディーヌ・ルノワールが、不意にも、フランス文化の放送を録音しようとして応答機のプラグを抜かなかったら
パリの月刊誌「明後日」に勤めるジャーナリストのブランディーヌ・ルノワールは、ラジオ番組を録音するため電話機の留守電を切ったせいで、編集部を訪れていたボリヴァージュと、同行していたジュリアンと話をする機会を得た。
ブランディーヌは、ジュリアンの考え方やボリヴァージュについて興味を持ち、サン=ジュイールに取材することにした。
ブランディーヌは取材を進めるうち、この町は活気が失せており、人々の暮らしも貧しくなっていることに気が付く。マルクは文化会館など必要ないとジュリアンを痛烈に批判した。
第5章 もし、月刊誌次号を作る際に、ブランディーヌがソマリアにユニセフの使命を携えて行っていなかったら
ソマリアからブランディーヌが帰国すると、サン=ジュイールでの取材内容は、環境保護派に媚を振る編集長の責任によって改変されて、マルクの主張がメインになった。
ブランディーヌは編集長に憤慨した。パリで記事を読んだジュリアンやボリヴァージュも怒った。
第6章 もし市長の娘ヴェガが偶然にも彼女のボールを道に飛ばして、そこで教師の娘ゾエに届かなかったら
ボール遊びがきっかけでヴェガとゾエはすっかり親しくなった。ゾエはそこへ現れたジュリアンに対し、文化会館の建設に反対だと訴えました。ゾエは、何よりも子供たちが安心して遊べる緑地こそが必要だと訴える。
ジュリアンは幼いながらもしっかりした意見を持つゾエに感心しますが、結局は丸め込んでしまう・・・。
雑感
1990年代のフランス政治史を知らない限り、一回見ただけではわかりにくい映画だった。
物語は7つの章で構成され、それらのタイトルは条件法副詞節(英語の仮定法と同じで、実際に起きなかったことを仮定する文)になっている。
そもそも第六章の市長宅庭園での10歳の娘ゾイと市長ジュリアンの対話でジュリアンは感心し折衷案を提案するが、第七章でパリに舞台を移しジュリアンがブランディーヌに計画が頓挫したと打ち明けている。その間のドラマはどこに行ったのだ。
授業中のマルクは計画中止を市役所から知らされて、突然歌い出す。それを受けてジュリアンは祭りを開いた庭で村人と歌い出し、愛人ボーリヴァージュもパリで歌い出す。何なんだ、この終わり方は?実しかして失敗作か。それとも農本主義を掲げているのか?
好きなのは、雑誌記者役のクレマンティーヌ・アムルーだ。可哀想に日和見の編集長に裏切られて、ユニセフに転職する。嫌いなのは結局農民のことなど心配していないマルク役のファブリス・ルキーニ。
パリの南西部ヴァンデ県サン=ジュイールが主な舞台だ。そこの住民が特別出演している。第4章でジュリアンはパリに出かけてブランディーヌとジュリアンの従兄弟フランソワの取材を受けた後、ブランディーヌはサン=ジュイールへ行って何人かの老人に対して農村の変化についてインタビューをしている。そのシーンは、彼らに現状について実際に思っていることを喋らせて、一部本物のドキュメンタリーにしている。ただし若い農民が自分の意見を持たなければ、その土地の農業は廃れるよ。
フランスの政界は共和党、社会党、共産党が三大勢力だ。最近はEU離脱を目指す人民共和連合(UPR)が第三党の社会党に迫る勢いだ。
1990年当時は社会党のミッテラン大統領が政権を握っていた頃であり、与党社会党は下野した共和党などから厳しい批判を受けていた。自民党と野合した村山社会党政権(阪神淡路大震災)や民主党政権(東日本大震災)のように、フランス社会党も野党が急に与党になって合理的な政治を目指すばかりに反感を浴びてしまい、結局政権を手放してしまう。
ジュリアンも野心を持った社会党員だったが、自分の地盤である田舎を人が集まるような町に育て上げたいと思っている。しかし老人たちは急な変化を望まず環境保護派が後押しして、結局ジュリアンの都市計画は頓挫してしまう。
日本なら自民党が環境保護派と相容れないものなのだが、農業国フランスでは共和党だけでなくと環境保護は容易に結びつくようだ。結局、ジュリアンも環境保護を重視せざるを得なくなった。
スタッフ
監督、脚本、音楽 エリック・ロメール
製作 フランソワーズ・エチュガレー
撮影 ディアーヌ・バラティエ
音楽 セバスチャン・エルムス
キャスト
ジュリアン・デショーム(市長) パスカル・グレゴリー
ベレニス・ボーリヴァージュ(市長の恋人、作家) アリエル・ドンバール
メルク・ロシニョール(教師) ファブリス・ルキーニ
ブランディーヌ・ルノワール(雑誌記者) クレマンティーヌ・アムルー
レジ・ルブラン=ブロンデ(編集長) フランソワ・マリー・バニエ
ジャン・ウォルター ジャン・パルヴュレスコ
ロシニョール夫人 フランソワーズ・エチュガレー
ゾイ・ロシニョール(教師の娘) ギャラクシー・バルブット
ヴェガ・デショーム(市長の娘) ジェシカ・シュウィング
秘書 レイモンド・ファロ
ベビー・シッター マヌエラ・ヘッセ
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第7章 もしコミューン当局が、習い性によるものにせよまたは命令によるものにせよ、やる気がありすぎると示さなかったら
当局の地質調査により、文化会館の下の地盤は長年の農業用水を吸い上げすぎで、地下水が枯渇していることが判明する。
結局、予算を許可したはずの文化省からも支援を打ち切られ、文化会館の建設を断念する。
パリに陳情に来たジュリアンは、今は雑誌社を退職しユネスコに勤めるブランディーヌと再会して愚痴をこぼす。
建設中止を市長から知らされたマルクは、手柄を上げた娘のゾエをみんなに祝福させて、我がことのように喜んだ。そして急に歌い始める。
計画を諦めたジュリアンは、自宅の庭園に町の人々や子供たちを招いてお祭りを開く。
ジュリアンは「新しい世代のために解決策を見つけた」と歌う。そして、これからは自然と共存していく決意を固める。
ボリヴァージュまでパリのアパルトマンで歌い始める。