西研は、竹田青嗣の一派(実存主義)に属する東大出で在野の哲学者。学者というより解説者と言う方が、ぴたりと来る。
第一章はニーチェを取り上げる。ルター派の牧師の子に生まれながら、キリスト教批判の急先鋒になった実存主義の哲人であり、45ぐらいで発狂した。
彼の思想は簡単に言うと次の通り。キリスト教は悪しき平等主義であり、(当時の)ユダヤ人は被害者意識ばかり強く持った、ひねくれ者だ。真理なんてあるわけないだろう。人間の生きる意味なんて、他の誰かに決めてもらっても仕方ないじゃないか。どうせ一度きりの人生なんだから、手作りの価値観を持って、楽しく生きろ。キリスト教の精神的枠組を突破して、凄い冒険をしてみろ。そしたら超人と呼んでやるよ。
彼が本来ルサンチマン(恨み辛み)の塊のような人間であった。そこから脱却し力への意志を求めるために、ひたすら書き続けた。
彼の哲学に相互理解の論点はないと思っていたが、西研によると、さにあらず。一生懸命頑張ってる人同士は、何も言わなくても分かり合えているという。
それから民主主義も社会主義も、キリスト教的世界観の枠組の中にある。非キリスト教的社会主義は、けったいな毛イズムや主家思想のような東洋思想の変形。あくまで社会主義=マルキシズムといえば、ユダヤ-キリスト教体制のなれの果てにすぎぬ。
第二章ハイデッガー。
まず師匠のフッサールの現象学を解説してから、ハイデッガーに移る流れだ。
しかしニーチェと全然違い用語の定義ばかりで読みにくくて欲求不満が残る。daseinだとか世界内存在など、もっと分かりやすい解説が出来るだろうに。
あるいは、ニーチェと違う点だけ書いてくれれば良かったのではないか。
第三章はヘーゲルだ。
ポストモダンかと思ったが、時代を遡ってしまった。80年代全盛のポストモダンでは、他者との関係の問題が解けない。そこで私は国家だと言っているような、ヘーゲルの出番となる。
しかしヘーゲルを語るには頁数が足りない。
読んで面白かったのは、第一章ニーチェだけだ。
この本は1989年に初版が出ている。その後書いた本はまだ読んでない。ヘーゲルについては、著者は本来もっと面白く解説できるはずだ。
ライブドアから再録