興行収入230億円以上と大ヒットしたアニメ映画「君の名は。」をアマゾンビデオで見た。劇場で見なかったのは、ハッピーエンドと知っていたからだ。
実際に見たうえで言わせて貰えば、新海誠監督を知らずに劇場で見た若人は、内容も知らずに見るから結末に感動できたと思う。そして一度ハマると複雑な時系列を解き明かすためにリピーターになる。
短編が得意な新海監督を知っている少数派が劇場版を見ると、いつもの新海節が感じられず物足りないと思ったはずだ。
そういう筆者(中年)は最近の新海作品を一通り見ていて、ややスレている。ディスプレイで見た映画は背景美術が非常に凝っているが、作画は劇場版としては並、そして構成に非常に雑味を感じた。というのはボーイ・ミーツ・ガール、「転校生」のような肉体入れ替え、タイムスリップという使い古された話に、惑星衝突という大災害と記憶の曖昧さという御都合主義をまぶして、あまりに話を盛りすぎている。
映画の本質は、宮水家に伝わる組紐を通した人と人との繋がりである。瀧と三葉の繋がりだけでなく、町に初めて流星が落ちたときから、この激甚災害を子孫に伝えてきた宮水家代々の繋がりでもある。
話をわかりやすく整理する方法は幾つでもあったろうが、新海監督は敢えて解釈に手間の掛かる穴だらけの脚本を選んだ。あるいは選ばされた。だからこそリピーターが何度も見に行く羽目になった。プロデューサー・サイドの要望だったのかも知れぬ。
ただ若さの特権で女子が自転車で立ちこぎしていれば大人でも見ていて手に汗を握る。一方、軟弱男子には興味をあまり持てず、女子の姿でいる時の方がしっくり来た。
その点では上白石萌音の好演が光った。朗読の神様市原悦子を喰っている所もあった。
総じて10点中7点から甘くても8点というところか。おじさんはこういうのを見ても何も感じないのじゃという批判が多いようだ。映画考察や想像を広げるスペースを十分開けてあるのに、そこまで批判する人間は思考力や想像力の欠如が甚だしい。
NHKラジオドラマ「君の名は」の銭湯が空になるほどの大ヒットを受けて、1953年松竹は真知子役に岸恵子、春樹役に佐田啓二を配して同名映画の第1部、第2部を作った。そして同年興行成績第1位、第2位を独占し、合計で当時5億5千万円を稼いだ。翌年も第3部 (最終部) を作り、再び興行成績第1位となり3億円を稼いだ。のべ3千万人が見たと言われているから、現在に単純に置き直して興行収入540億円だ。
この映画三部作は戦争が巻き起こした不幸を描いている。第1部 : 東京大空襲の混乱下で出会ってしまった春樹が「君の名は」と問うが真知子は名を答えず、生き残ったら会いましょうと待ち合わせ場所だけを決める。戦争はその後終結するが二人は行き違いを繰り返し、ようやく会えたのは真知子が浜口と結婚する前日だった。第2部では春樹は新天地を求めて北海道へ渡る。真知子は流産して嫁ぎ先にいたたまれなくなり春樹を追って北海道へ渡るが、春樹を愛したアイヌの娘が自殺してしまい、春樹と真知子は別れざるを得なくなる。第3部では真知子は一人雲仙に移るが離婚問題や再婚問題で体調を崩し、東京へ戻ると急性肺炎を起こして危篤となる。しかし欧州から春樹が急遽帰朝すると肺炎は治り、ようやくハッピーエンドになる。
2016年のアニメ映画「君の名は。」はタイトルに句点が付け加わっただけだが、この違いを新海家督は著作権の問題だとはぐらかしている。実際はもう少し関係が深い。その辺をハッキリさせないのは松竹映画の題名を東宝が利用させてもらったという引け目があるからだろう。
1953年作では空襲明けのシーンで「君の名は」と問うたおかげで愛の悲劇が始まる。戦争が二人を引き裂き、次に出会ったときには真知子は上司と婚約している。
一方、2016年作は「君の名は。」と尋ねるところで二人の関係が始まり同時に映画は終わる。だから「句点」なのである。アフターストーリーなんて野暮なのである。
丁寧に映画を作ってきた職人が、わずか1時間47分の映画ににこれだけのテーマを押し込むのは無理があって、結局カドカワ流のマルチメディア展開をして情報不足を補っている。特に小説版は監督自ら著したものとラノベ風に加納新太に書かせたものと2パターンがある。それらを参考にすると一層映画がわかりやすくなるだろう。
監督・原作・脚本・編集 新海誠
作画監督 安藤雅司
キャラクターデザイン 田中将賀
主題歌、挿入歌 RADWIMPS
企画・プロデュース 川村元気
配役
宮水三葉 上白石萌音(女優)
勅使河原克彦 成田凌(俳優)
名取早耶香 悠木碧
宮水四葉 谷花音(子役)
宮水一葉 市原悦子(女優)
立花瀧 神木隆之介(俳優)
藤井司 島崎信長
高木真太 石川界人
奥寺ミキ 長澤まさみ(女優)