飛行機の人命を救ったのに裁判にかけられたり、アル中になったりと英雄パイロットも大変みたいだ。
しかしこの映画では最初にパイロットら乗客が死んで、事故調査の様子をバックにJerry Goldsmith の重厚かつ悲壮なオープニング曲がかかる。
ジェット機の機長サヴェッジは離陸直後、右エンジンに故障が起きたため帰港する途中に無線が切れ、何故か砂浜の桟橋に突っ込んで乗客乗員54名のうちスチュワーデスのマーサを除く全員の命を失う大事故を起こした。
まず右エンジンにはカモメが飛び込んだバードストライクが考えられる。被害者の中には自身に多額の保険金をかけた者がいたが、飛行機に乗るのが初めてで妹の結婚式へ行く途中だったと言うから保険金詐欺自殺の線も崩れた。
そこへ、フライト直前にサヴェッジと男が飲んでいたという証人が現れ、飲酒操縦の可能性が出てきて、会社役員や整備部長のベンは死んだサヴェッジに罪を被らせるしかないと考えた。
しかし運航部長のマクベインは信じられなかった。実は彼は大戦中の空軍での上官でともに戦った仲だ。マクベインはサヴェッジと一緒に飲んでいた男ミッキーを探すため、サヴェッジの元婚約者や友人をしらみつぶしに当たった。その中には悪し様に彼を貶す人間もいたが、彼が最後に愛した女性もいた。
そして行き着いた先はマクベインが忘れられない大戦中のフライトで同乗していた通信兵ラルフだった。そのフライトで過荷重のため全員脱出しなければならなくなりマクベインは先に落下傘で降りたが、サヴェッジとラルフが無事目的地まで荷を送り届けて勲章をもらった。そのことでマクベインはサヴェッジを恨んでいたが、実はラルフが落下傘降下を嫌がったため、仕方なくサヴェッジは操縦を続けて、たまたま目的地が見えたのだった。
ミッキーとはサヴェッジとラルフが北方戦線に移動した後、コパイロットとして同乗した男だった。ミッキーは戦後アル中になり、何度も矯正施設にサヴェッジに放り込まれたが、結局治らなかった。それでサヴェッジは諦めて、たまに呼び出してサヴェッジに高級な酒を飲ませてやっていたのだ。サヴェッジ自身は一滴も飲んでいない。
問題は内部調査に過ぎないものを事故調査委員会が信用するかどうか。はたして信用させることはできず、遺族の弁護士は訴訟を起こすと息巻いている。
最後の手段としてマクベインが自らサヴェッジが搭乗したように同形機を操縦して同じ時間帯に何が起きるか、実験するのだ。
唯一の生き残りマーサやベテランパイロット、整備部長ベンとともに乗り込み、管制官も事故発生時と同じメンバーに集まってもらった。もちろん、bird strikeを人為的に起こすことはできない。時間が来たら右エンジンを切った。マーサが運んで来たコーヒーも飲む暇もなく、大きく機体が揺れる。そのうち、事故の時と同様に無線が何故か切断されてしまい、警報ランプが鳴り出した。機体は下がり桟橋に突っ込みそうになった時、マクベインは右エンジンに再点火して急上昇した。
犯人はコーヒーだった。機体の揺れで機材の上に溢れてしまい、内部の配線をショートさせて左エンジンも異常が出たように警報を発したのだ。
最終的な責任問題は残るが、サヴェッジの名誉だけは守られた。飛行機を降りたマクベインは真っ先にマーサをサヴェッジゆかりの人たちのところに連れて行った。
原作というか原案はアーネスト・ガンの書いた航空大河小説の一部だ。ただし脚本ハロルド・メドフォードが相当に筆を入れたらしい。監督のラルフ・ネルソンは「はなたばを君に」(アルジャノンに花束を)「野のユリ」などを演出している社会派。プロデューサーはアーロン・ローゼンバーグ(グレン・ミラー物語、ベニー・グッドマン物語)で音楽はジェリー・ゴールドスミスが担当。
プロット、演出や脚本、撮影、音楽は文句がない。ただし航空考証では、やや甘いところがあるそうだ。
俳優で言うと、現場を離れて出世競争をしているグレン・フォードより後輩に追い抜かれても現場一筋ロッド・テイラーの方がはるかにカッコいい役だった。
女優だと大勢出て来て分かりにくかったが、スザンヌ・プレシェットは出番こそ少ないが重要な役どころ。一方、ナンシー・クワン(中国系スコットランド人女優) は必要だったかなと思った。ドロシー・マローンに至ってはクレジットもされていない。
これから事故調査委員会の結論を受けて刑事裁判はスキップされるかもしれない。
でも民事裁判が始まるが、結構厳しい結果が出ても文句が言えない。誰かが責任を取らなければならないのだから、会社と保険会社が全額補償するしかない。国の検査制度の問題とか話を大きくしても、終わらなくなるから、会社が保険金を差し引き補償して、中小企業であれば他者に救済合併を求めるだろう。
故人の名誉だけは守れたけれど、従業員の生活のことを考えると複雑。
実に映画の評価が難しい。
最後にグレン・フォードが五十三人がここで死ななければいけなかったようなことを事故調査委員会で主張していたが、それは五十三人の死を無駄にせず、コクピットでコーヒーを零しても電気系統が故障することの無いように改良を見守りたいという意味だと思う。でも遺族はそれで納得できるか。
それともアメリカで飛行機が64年でもリスクの高い運搬具だと認識されていたのだろうか。
日本人にとってはオリンピックの年だからまだ飛行機に乗ったことの無い人が圧倒的多数だった。だからグレンの言い分は日本人に通用する論理なのだが、飛行機に乗り慣れていた大都市のアメリカ人には通用しないのでは無いか。
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監督 ラルフ・ネルソン
製作 アーロン・ローゼンバーグ
原作 アーネスト・K・ガン
脚色 ハロルド・メドフォード
撮影 ミルトン・クラスナー
音楽 ジェリー・ゴールドスミス
出演
グレン・フォード(マクベイン)
ナンシー・クワン(サリー)
ロッド・テイラー (サヴェッジ機長)
スザンヌ・プレシェット(スチュワーデス マーサ)
ドロシー・マローン (サヴェッジの婚約者リサ)
ジェーン・ラッセル (本人)
ウォリー・コックス(ラルフ)