ジョン・フォアマンはポール・ニューマン主演映画をよくプロデューサーしていて、名作「明日に向かって撃て」も製作している。デズモンド・バグリーの原作スパイ小説「フリーダム・トラップ」をウォルター・ヒルが脚本を書き、監督ジョン・ヒューストンが映画化した。音楽はモーリス・ジャール
主演はポール・ニューマン、共演がドミニク・サンダ、ジェイムズ・メイスン、イアン・バネン。スタジオは英国で、ロケはジョン・ヒューストンの祖国アイルランド、マルタ島。

あらすじ

英国議会ではウィーラー卿が刑務所からの脱獄問題を取り上げ、堅固な刑務所を作るべきと政府を批判していた。オーストラリアの泥棒リアデンは、ロンドンにマッキントッシュ氏を訪ねた。時価1億4千万円の宝石強盗の計画が提示され、秘書のスミス夫人と一晩共にして、翌日スミス夫人の指示で計画を実行に移す。強盗に成功しスイスへ高飛びしようとしたリアデンは何故か警察に逮捕されてしまった。そして20年の禁固刑が言い渡される。ある日トレベリアンという囚人がリアデンに近付き、金を払えば秘密結社スカーペラーが脱獄させると言った。一緒に脱獄するのは、スレイドと言い、ソ連の二重スパイだった。外部からの煙幕攻撃により脱獄には成功したが、リアデンとスレイドは眠らされてしまう。

眼を覚ましたリアデンをスカーペラーは監禁して、スレイドだけを逃す。実はリアデンは諜報部員だったのだ。隙を見つけて屋敷に火を放ったリアデンは、外に出てここが北アイルランドである事に気付く。
ロンドンでも事件が起きていた。マッキントッシュがウィーラー卿にリアドンの秘密を打ち明けた後、ひき逃げされ重傷を負ったのだ。マッキントッシュの実の娘だったスミス夫人はリアドンと合流する。そのとき、ウィーラー議員がヨットで立ち寄り、即刻マルタ島に向かった。リアドンはウィーラーがスレイドをスカーペラーから引き取り、マルタ島を介してソ連に引き渡すと推理する。

リアドンたちは小型飛行機でマルタ島に先廻りする。スミス夫人はウィーラーの船内に侵入してスレイドを発見するが、ウィーラーに捕まってしまった。リアドンは警察と船に踏み込むが、そこにはスミス夫人もスレイドもいなかった。
リアデンは一旦身を隠して、ウィーラーが出ていくのを見てから、再び船に侵入する。そして居残りの子分にウィーラーの行き先が教会だと吐かせる。教会に行くと、ウィーラーとスレイドがスミス夫人に銃口をつきつけて待ち受けていた。彼らはしきりにマッキントッシュの遺言を知りたがった。リアドンは彼の遺言は首相に当てたもので親族でさえ見られないと言うと、ウィーラーは落胆する。マッキントッシュは先ほどなくなったのだ。彼らの悪事は今頃首相に報告されている。スミス夫人は2人を撃ってと叫ぶ。しかしマッキントッシュが死んだ今となっては、ウィーラー、スレイド二人ともソ連に亡命するしかなくなり、愛国心の欠片もないリアドンとも殺しあう義理はなくなった。
ウィーラー、スレイドとリアドンは別れを告げて東と西へ向かった。その瞬間スミス夫人は拳銃を掴み取り、ウィーラーとスレイドを見事に射殺した。そしてリアドンにも捨て台詞を残して、去るのだった。

雑感

長い前振りの後、この映画の主題が泥棒ものでなく、スパイだと思い出す。しかし最後に東西のスパイたちが「もう殺し合いは良いじゃないか。そろそろ家に帰ろうよ」と言って別れるアンチ・スパイものだったと気付かされる。
この筋だけ聞くと、私には面白そうなのだが、実際に見て面白かっただろうか?何か違和感を感じなかったろうか。

まずポール・ニューマンがオーストラリア人の泥棒や英国人スパイに扮するのは無理がある。一カ所だけドミニク・サンダの言葉を借りてアメリカ人である事を明かしているが、ではCIAとどんな関係があるのか分からない。

次に原作デズモンド・バグリーの盗用疑惑が挙げられる。この人は70年代を通して有名なアクション作家だったが、来日後一年経って亡くなった。この映画のプロットと、人気テレビドラマ「セイント天国野郎」(ロジャー・ムーア演ずる探偵サイモン・テンプラーが登場する)の1966年末のエピソードによく似たものがあったそうだ。さらに同じ1966年に英国でソ連のスパイとして逮捕されたジョージ・ブレイクが実際に脱獄している。これらを一つに組み合わせると原作や映画に近くなる。

さらにクレジットされている脚本家ウォルター・ヒル(のちに「48時間」「ストリート・オブ・ファイアー」を監督、「エイリアン」シリーズを製作)が前半だけ書いて降りている。毎度のことだが、ジョン・ヒューストン監督が癇癪を落としたらしい。始めから監督が自分で書けばいいのに何故、人に任せるのかw。
後半は手が空いた劇作家や作家が手分けして書いたそうだ。あまりに細分化されたため、クレジットにも出てこない。ポール・ニューマンジョン・フォアマンもヒルの肩を持ったようで、ジョン・ヒューストンは撮影中やる気全く無しだった。
と言うわけで、撮影前からこの映画には種々の問題があり、当然のことながら、この映画はこけた。

しかしこの映画の救いは、やはりスミス夫人役のドミニク・サンダである。低いフランス訛りで英語のセリフを語っていた。この映画の撮影開始が1972年10月だから、長男を出産した直後だ。それでわかったが、水着がワンピースだった。これも最初に見たときの違和感の一つだが、彼女は生粋の知性派美人だからマルタ島に行ってもビーチでビキニを着ないのが当然と思っていた。
そういえば彼女は女性にも人気があって、40歳近くなってもパルコのCMに出ていた。

スタッフ

製作 ジョン・フォアマン
監督 ジョン・ヒューストン
脚本 ウォルター・ヒル
原作 デズモンド・バグリー
撮影 オズワルド・モリス
編集 ラッセル・ロイド
音楽 モーリス・ジャール

キャスト

リアドン  ポール・ニューマン
スミス夫人 ドミニク・サンダ
ウィーラー卿  ジェームズ・メイソン
マッキントッシュ ハリー・アンドリュース
スレイド(ソ連のスパイ) イアン・バネン
ブラウン   マイケル・ホーダーン
トレベリアン  ナイジェル・パトリック
ブランスキル ピーター・ボーガン
ターフィ  パーシー・ハーバート

マッキントッシュの男 The Mackintosh Man 1973 ジョン・フォアマン製作(英米合作) ワーナー・ブラザーズ配給

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