大女優デビー・レイノルズと娘キャリー・フィッシャーに長年密着取材(息子トッドがプロデューサー) したドキュメンタリー作品が2016年カンヌ国際映画祭でプレミア上映され、見た人々に多くの感動を与えた。そしてHBO(ワーナー系のケーブルテレビ局) で翌年中に放映することが決まった。
ところがその年末にキャリー・フィッシャーとデビー・レイノルズが相次いで亡くなったため、HBOは放映予定を急遽繰り上げて1月7日に特別番組として放映し、米国中で非常に大きな反響を得た。

 

 

あらすじ

 

話はデビー、キャリーの半生から2014年にデビーが介助なしには歩けないほど衰えながら、全米映画俳優組合生涯功労賞を自らの脚で歩いて、舞台上で娘のキャリーからトロフィーを送られ、滑舌のしっかりした感動のスピーチを行ったところまでを描いている。
前半は主にデビーの華々しい芸能界でのキャリアと波乱に満ちた半生が描かれている。夫エディ・フィッシャーと二人の子を成しながらエリザベス・テーラーに略奪婚されてしまった事件。第二の夫がギャンブル好きで借金を抱えた件、そしてその夫との関係を精算して別れた時に所属していた映画会社MGMがUAの傘下に降り、それまでのMGMの貴重な資産(スターが着た衣装や大ヒット映画で用いた小道具など)が散逸するのを阻止するために他のMGMスターに声を掛けて記念博物館を作ろうと呼びかけたが、誰も応じなかったことが描かれている。彼女が晩年まで現役を続けてきたのは、子供の時から芸能界で生きてきたプロ根性と、MGM記念博物館を建設するための資金作りが目的だった。
後半はキャリーの半生と母デビーの介護の話
キャリーは頭の良い娘で、もともと芸能界に興味はなかったそうだ。彼女はカリフォルニアのヒッピー文化の中で育ってきた。したがって麻薬漬けになってしまった。しかしMGMの大スターであるデビー・レイノルズの娘ということで嫌が応にも芸能界に引きずり込まれた。そして「スターウォーズ」でまさにスターの一員となり、S&Gのポール・サイモンと結婚するが「スターウォーズ・エピソード6」が終わった頃に離婚。それから薬物中毒で体調を崩すが、麻薬中毒と母娘の葛藤を描いた「崖っぷちからのはがき」を著したところ、それが「ハリウッドにくちづけ」としてシャーリー・マクレーン、メリル・ストリープで映画化される幸運を得て、再び脚光を浴びる。
介護編だが、キャリーは薬漬けだった父親エディ・フィッシャーの最期(2010)をまず看取ったそうだ。なお戦前生まれのスターは覚醒剤を自分で服用したわけでない。会社が仕事をさせるために、覚醒剤と知らせずに医者に注射を打たせたのだ。芸能界に限らず、忙しい人はみんな打っていた、ケネディ大統領も中毒だった。
元夫の死後デビーが目に見えて衰え出して、しまいに介護用カートなしで移動できなくなった。それでも博物館建設のためにシャンとして舞台には立つのだ。
ついにキャリーと息子トッドに見守られてデビーがコンサート活動から引退する日が来る。大きな借金を抱えてまで挑戦を続けた博物館も断念しなければならなくなった。オークションに出したマリリン・モンローの「七年目の浮気」のドレスは600万ドルで落札されたそうだ。ただしラットパック(シナトラ軍団)が映画で着た衣装は死ぬまで手放さなかった。
全米映画俳優組合から生涯功労賞の受賞の話が来ても前日までデビーは床から起きられなかった。キャリーが代理でリハを行った。しかし祝典当日になると、デビーは衣装を着て何事もなかったように歩いて出てくるのだ。そして感動の受賞シーン、エンディングとなる。

雑感

 

実際にはその続きもある。2015年にデビーは念願のジーン・ハーショルト友愛賞(アカデミー賞の功労賞)を受賞した。2016年末、キャリーが飛行機内で倒れ急逝するまで、デビーは元気だったのだが、娘の死を知り、葬儀の指揮を取っていた最中に気分が悪くなり亡くなってしまった。
この番組を裏話的な部分も非常に興味深く見たし、キャリーとデビーの関係がギクシャクした時期があり、でもやっぱり母娘だなあと感動するシーンも多数あった。そして最後は涙なしに見られなかった。

 

スタッフ・キャスト

 

監督 アレクシス・ブルーム, フィッシャー・スティーブンス
製作 アレクシス・ブルーム, トッド・フィッシャー、ジュリー・ナイヴズ
出演   キャリー・フィッシャー
デビー・レイノルズ
トッド・フィッシャー
グリフィン・ダン

ブライトライツ Bright Lights: Starring Carrie Fisher and Debbie Reynolds 2016 HBO

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