1931年版「ジキル博士とハイド氏」から10年しか経っていないのに、フレデリック・マーチのオスカーに輝く名演技を、1941年のスペンサー・トレイシーが越えることができるのか?
また前の映画同様に舞台に合わせて、婚約者ベアトリクスとゆきずりの商売女アイヴィーの三角関係があり、ジキル博士はベアトリクスを愛したが、アイヴィーに対しては同情的だった。一方、ハイドはアイヴィーに対してDVを伴う肉体関係を結んでいる。
このベアトリクスに美人のラナ・ターナーを起用している。イングリッド・バーグマンはスウェーデンからハリウッドに移って三作品を作ったがいずれも成功だった。その一つが「ジキル博士とハイド氏」だった。あえて商売女アイヴィーを選ぶというところが、イングリッドの女優魂を見た気がする。別にラナ・ターナーがアイヴィーでも構わなかったのだから。
フィアンセのベアトリクスが父と大陸旅行に2ヶ月行ってしまい、性欲が溜まったジキル博士は、兼ねてから動物実験を繰り返していた魂の善と悪を分離する実験を自らに試す。薬を飲むと、形相がガラリと変わり、ハイド氏になっていた。ハイド氏はモラルのカケラも持たない人物であり、ブラリと入った飲み屋で酒を注いでいるアイヴィーを見つける。ジキル博士の時にちょっとしたロマンスがあった女だった。ハイド氏は金に明かして部屋に入り込み、アイヴィーの自由を奪いSMプレーを楽しむ。
それもベアトリクスが大陸から英国へ戻ってきたので、もうおしまいにしなければならない。
そこへアイヴィーが知らずにジキル博士の診療所に現れた。ジキル博士は驚いたが、ハイドはもう現れないだろうと言っておいた。実際もう行く気はなかった。
ベアトリクスの帰国パーティーの夕べ、会場へ急ぎながら苦しくなり、ベンチで休んでいると、薬を処方しないのにハイド氏が現れた。ハイド氏はアイヴィーの元へ行き、自分とジキル博士の関係に薄々感づいているかもしれない彼女を殺す。
そしてジキル博士に戻って友人ラニヨンに秘密を告白する。ラニヨンは一度だけ見逃してくれる。しかしジキル博士の殺人衝動は止められず、ベアトリクスの父を殺し、証拠の品を置いてきてしまう。
ジキル博士の研究室に踏み込んだ警察は目の前でジキルがハイドに変身するのを見て、犯人であることを確信し、刃物を持って手向かうハイドをラニヨンが射殺する。
アイヴィーの心情表現が細かかった。おかげで前作よりもアイヴィーに思い入れができた。
前作のアイヴィーは頭の弱い子という感じだったが、今回は精神的にも経済的にもハイドに絡め取られている感じが出ていて、逃げたくても逃げられないDV妻だった。この辺りはイングリッド・バーグマンならではだ。
最初の質問に戻ろう。スペンサー・トレイシーはジキル博士とハイド氏の区別があまり付かない。この意味でフレデリック・マーチの勝ちだ。
でもイングリッド・バーグマンがすべてをひっくり返した。この映画は彼女の物だった。
監督 ヴィクター・フレミング 「風と共に去りぬ」
脚本 ジョン・リー・メイヒン
原作 ロバート・ルイス・スティーヴンソン
製作 ヴィクター・フレミング
音楽 フランツ・ワックスマン
撮影 ジョセフ・ルッテンバーグ
編集 ハロルド・F・クレス
出演
スペンサー・トレイシー
イングリッド・バーグマン
ラナ・ターナー
ドナルド・クリスプ
イアン・ハンター
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