六歳のエリモジョージは低迷する。春は全く勝てず宝塚記念の出走を諦める。
休み明け、秋の中京オープンは久しぶりに勝つ。左回りで勝てたのだから、調子は良いだろうと思って、出走した年末の阪神大賞典は9着だった。有馬記念を諦めて阪神に出たのに、この体たらくである。

 


明け七歳の日経新春杯も4着。まあここまでは鞍上が池添兼雄だから仕方なかったのだ。
春の京都記念は福永洋一に手が戻り、60キロで4馬身差の圧勝。休み明けだった天皇賞馬ホクトボーイは、力尽き三着に敗れる。続く鳴尾記念は、62キロを背負ってホクトボーイに大差勝ちしてしまう。もうエリモジョージは完全に本格化したと確信した。

 

☆宝塚記念・グリーングラスとの対決
二年ぶりの宝塚記念である。一番人気は岡部騎手を配する春の天皇賞馬グリーングラス、そして二番人気が我らの気まぐれジョージ、三番人気は秋の天皇賞馬で前走オープン勝って気勢が上がるホクトボーイ
昭和51年最強世代の天皇賞馬二頭に対して、昭和50年最弱世代の天皇賞馬が逃げ切るか否かがポイントである。
重馬場の発表だがそれほど酷くはない。一秒程度余計に掛かるぐらいだ。

 

外枠からスタートして気持ちよく先頭に立った福永洋一に対して、同期岡部は仕掛ける隙を見つけられない。グリーングラスも天皇賞の疲れが出たのだろう。あれよあれよと回る内に、4馬身差でエリモジョージの圧勝劇は終わった。

 

 


この馬に対する福永洋一の評価は非常に高かったと聞く。
440キロ前後の小柄な馬体で60キロ背負わされてもカンカン泣き一つしなかった。
グリーングラスと逆で、外からかぶせられるのが嫌だったから、直線では中央をまっすぐ走ってきた。
道悪は苦手と思われていたが、古馬になって克服した。
その後、高松宮杯は一番人気に祭り上げられたが、惨敗。その後も一勝も出来ず、引退する。
エリモジョージの引退式の日、鞍上には福永の姿はなかった。
エリモジョージ 2001年4月10日死亡。

 

 

 

エリモジョージ物語3 (宝塚記念 1978)

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