昭和51年春の天皇賞馬
大久保正陽厩舎所属
父セントクレスピン、母パッシングミドリ、祖父ワラビー
3歳の勝鞍 新馬、白菊賞
4歳の勝鞍 シンザン記念
5歳の勝鞍 天皇賞春、函館記念、秋の京都記念
6歳の勝鞍 秋のオープン
7歳の勝鞍 春の京都記念、鳴尾記念、宝塚記念
44戦10勝2着1回3着4回
S47.3.17生まれ、天皇賞馬タイテエムと同じ出口牧場の生産馬である。

 

 

☆クラシックロードのエリモジョージ
(旧)三歳時は1200mのデイリー杯惨敗後、松田幸春騎手で1400mの白菊賞(200万下)を完勝する。
そして初めて福永洋一に乗り替わり阪神三歳Sに挑戦して、ライジンの三着に敗れる。
しかし福永はたしかに手応えを掴んだようである。
明け四歳初戦はシンザン記念
途中で先頭に立ち、直線では馬場の良い外八分どころに持ち出したにも関わらず、キョウワジャンボ相手に完勝する。
しかし一番人気で勝ったのはこれが最後となる。
「気まぐれジョージ」の始まりだ。
気むずかしいのか、レースで福永は右の見せ鞭を使っていたと思う。
また馬場は荒れていて時計の掛かる良馬場だった。
年明け二戦目は3月初めの毎日杯である。
前走の勝ちっぷりから一番人気に支持されるが、休み明けのせいかフサトロキノーの6着に沈む。
続いて3月末に行われたスプリングSが、東上初戦である。
弥生賞でカブラヤオーの2着に頑張ったロングホークが見事一番人気に答え勝利を収めるが、エリモジョージは7着に沈む。
いよいよクラシック第一弾皐月賞
9番人気だったが、外から伸びてカブラヤオー、ロングホークに次ぐ三着と健闘した。
エンジンが掛かってきたようである。
しかしNHK杯で初めての道悪競馬を経験する。
三番人気に支持されながら結果はカブラヤオー、ロングファスト(ダービー馬ロングエースの弟)の12着に終わる。
そしてダービーは良馬場に恵まれ、四番人気に支持されるが、結果はやはりカブラヤオー、ロングファストの12着に終わった。
左回りもどうもイマイチである。
また本来同一脚質(スプリンタとステイヤの違いはあったが)であるカブラヤオーにはどうしても敵わなかった。

 

 

ダートの札幌記念もツキサムホマレの12着と惨敗して、彼はエリモ牧場で夏休みに入る。
S50.8.14、そのエリモ牧場で火災が発生し、10頭の馬が死んだが、エリモジョージは九死に一生を得る
秋に二冠馬カブラヤオーも休養に入ったが、四歳勢は活躍を続け、先行馬コクサイプリンスが菊花賞を勝ち、差し馬イシノアラシが有馬記念を制した。
エリモジョージはその年の後半を休養して年明けのレースに備えた。

エリモジョージ物語1 (シンザン記念 1975)

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