東映で時代劇でなく、現代劇を撮っていた大泉撮影所の話。
その前年、第一作の東映版リメイク「七つの顔の男だぜ」で「多羅尾伴内」シリーズを終えた片岡千恵蔵御大は、東映の子会社第二東映がニュー東映に商号変更した機会に新しく「無宿」シリーズを始めた。
その一作目はブラジル移民の子(片岡千恵蔵)が日本を一目見たいと来日するが、各国の賭博団が日本で大儲けを企んでいるのを知り、命をかけて阻止する物語。
と言っても、堅苦しいわけでなくアホらしいほどのアクション・コメディだ。共演の進藤英太郎が、オトボケ役の御大を立ててツッコミ役に徹している。あれほどの大ベテランが、受けるためには何でもやるという役者根性に敬服する。
他の共演は月形龍之介、江原真二郎、久保菜穂子、三田佳子、梅宮辰夫、佐久間良子。
監督は東映でシリーズ物を作らせればヒットする小沢茂弘。
あらすじ
オリンピック招致に成功し、成長する日本市場に世界中の賭博団が進出を図る。アメリカのマフィアからは西部の有名なギャンブラーである「ゴールドラッシュの熊吉」が派遣される。フランスからも日系人の「スペードのジャック」が派遣される。
ブラジル移民の子である「アマゾンの源次」がポンチョを着て、初めて父祖の地日本を訪れる。源次は感慨一入だったが、怪しいギャンブラーが徘徊していたので、後をつけホテルに入る。
本屋敷の経営する国際ホテルは、地下室で秘密賭博場を開いていた。ゴールドラッシュの熊吉、スペードのジャックが既に集まっていた。アマゾンの源次はイカサマ賭博をした熊吉と一触即発となるが、香港麻薬団の元締め竜源昌が割って入る。彼は腕の立つ源次、熊吉、ジャックの三人を用心棒に雇った。
実は彼も日本の賭博によって生まれる利益を独占しようと狙っていた。竜は本屋敷と組んで、クラブ「ネバダ」の社長西園寺を陥れ、夜道で暗殺する。そして西園寺の縄張りを奪うため、相続人である西園寺の娘秀子と彼女の恋人進次も殺そうと企む。
ところが思わぬ事態が起きる。竜の秘書玉琴が突如発狂し、竜に発砲した。幸い球は外れ、竜に愛されていた彼女は精神病院に入院することになる。源次も発狂の原因を探るため、狂人を装い精神病院に乗り込む。一ヶ月に一度狂人を部屋から解放して、広間で自由活動をさせる日だった。源次がブラジルのダンスを踊り出すと、狂人たちもみな輪になって踊り出す。玉琴は最初何が起きたのかとキョトンとしていたので、源次に発狂は狂言だと見抜かれる。元ロカビリー歌手が狂人の中にいたせいか、いつの間にかアフリカン・ビートになっていた。源次は玉琴にダンスを踊らせ、その隙に院長と看護婦を縛って、狂人たちの中に放置した。玉琴は看護婦の服装を着て病院から脱走する。
玉琴の正体は日本人だった。恋人が竜に殺されたことを知ったために竜を殺そうと狙ったのだ。彼女の妹道子は、西部劇趣味が高じて若い身でオーキー牧場こと大木牧場を経営していた。そこで源次と熊吉はガンファイト対決をして、源次が勝った。以後、熊吉とジャック、玉琴は源次の指図に従うことにする。
竜のもとにエジプトの賭博団から協定を申入れてきた。竜はインド人を源次に殺させようとしたが、源次は裏切る。源次は竜の子分に射たれ海中へ転落した。海には源次のソンブレロが浮かんでいた。
しかし源次は死んだと見せかけ、フランスの賭博師たちが竜と撃ち合いをしている最中に、熊吉と共に現れ竜を鐘つき台に追い詰める。覚悟した竜は青酸カリを飲んで果てる。
実はジャックの正体は国際警察官滝村五郎であり、到着した警官隊とともにフランス、エジプトの賭博団を全員逮捕した。
ある晴れた日の羽田空港、世界中の賭博師どもを壊滅させた源次が、親しくなった人々に送られてブラジルに飛び立つ。飛行機内では何と熊吉と玉琴まで源次にお供すると言って、ついて来ていた。
雑感
見所は一杯。
1.ブラジル移民の源次がポンチョにソンブレロのメキシカン・スタイルで登場。
2. 源次が頭がおかしくなってブラジル・ダンスを踊り出したが、ブラジルならサンバだが、盆踊りにしか見えない。
3. 発狂のふりをしている源次を診断した精神科院長の弁、「噛みつかれて伝染ったのなら、トキソプラズマ菌ですね。ブラジルの病気です」
4. 最後に滝村刑事が源次に「何者か」と尋ねると、「俺は正真正銘のブラジルの百姓さ。祖国日本が外国に狙われていると聞いて黙っていられなかったのさ」
片岡千恵蔵御大は踊りが好きで、宴で歌舞伎舞踊「奴」を踊って師匠の十一代片岡仁左衛門にぶん殴られたことがある。「黒いオルフェ」を見ていなかった御大はブラジルのダンス(=サンバ)と振られても和風のダンスしかできなかったと思われる。
さてニュー東映について。
荒磯に波が東映のロゴならば、爆発する火山の噴火口がニュー東映のロゴだった。
東映は1957年にあらたなテレビ局「日本教育テレビ(NET、今のテレビ朝日)」を日本短波放送、日本経済新聞、旺文社と出資設立した。のちに朝日新聞と組んで日本経済新聞、旺文社から株式を買収する。
東映大川博社長は、投資効果を上げるためにテレビ番組製作目的で1958年に子会社・東映テレビプロダクション(旧社)を設立した。しかし翌年東京テレビ映画、さらには第二東映と二度も商号変更して現代劇路線中心のB級映画の製作・配給業務を担わせることに目的変更した。同時に東映テレビ・プロダクション(新社)を設立し、こちらはテレビ番組製作を専門に任せる。
1961年に入り小津安二郎の映画「お早よう」の通り、家庭に一台のテレビ時代に入り、映画会社は製作・配給部門の採算が悪化する。第二東映を「ニュー東映」と商号変更して、大倉貢社長が率いる新東宝と配給の一本化を目指した。しかし大倉が提示された株式売却価格に難を示したため、提携はご破算になる。目標を失ったニュー東映を親会社東映は吸収合併してしまう。
しかし新東宝が結果的にスピーディーなテレビ製作方法を開拓したように、第二東映・ニュー東映が残した遺産も大きかった。従来の東映時代劇では育たなかった人材を、実績のある人と次々と組み合わせて育成したことである。
この作品でも若手の江原真二郎、梅宮辰夫、三田佳子、佐久間良子を片岡千恵蔵、月形龍之介と言った戦前からの大御所や進藤英太郎という戦後の名脇役と共演させている。
若い女優二人は、新東宝を辞めた久保菜穂子のブラジル踊りに女優根性の何たるかを叩き込まれただろう。佐久間も三田も後の大河ドラマの主演女優になったことを考えれば、如何に多大な影響を与えたかわかるだろう。
片岡千恵蔵主演のコミカル・アクション映画の「無宿」シリーズを1961年に二作品作るが、ニュー東映の消滅とともに同シリーズも終了する。御大も次第に主役に立つことは少なくなってしまう。
スタッフ
製作 大川博
企画 玉木潤一郎 、 植木照男
脚本 松浦健郎
監督 小沢茂弘
撮影 西川庄衛
音楽 鈴木静一
キャスト
アマゾンの源次 片岡千恵蔵
ゴールドラッシュの熊吉 進藤英太郎
スペードのジャック 江原真二郎竜源昌 月形龍之介
玉琴 久保菜穂子
秀子 三田佳子
道子 佐久間良子
進次 梅宮辰夫
西園寺 小沢栄太郎
橋爪 山本麟一
本屋敷 三島雅夫