1955年になって、ペルリン国際映画祭長編映画賞を受賞した。

1951年近代映画協会製作映画の「原爆の子」と同じ原作、長田新が編集した児童作文集「原爆の子 〜広島の少年少女のうったえ」を基にして、さらに原爆投下シーンやその後の野戦病院シーンにリアリズムを追及した原爆映画

監督は関川秀雄、脚色は八木保太郎。撮影は宮島義勇が担当した。また信州大学を卒業した熊井啓が助監督として参加している。

主演は岡田英次、共演は加藤嘉、山田五十鈴(二人は当時夫婦だった)、月丘夢路、神田隆、利根はる江
他に広島市民によるボランティア多数。白黒映画。

あらすじ

戦後、高校教師北川のクラスで原爆の放送を級友と聞いていた大庭みち子は、鼻血を出して倒れる。原爆で放射能を受けた彼女は、戦後七年経って原爆病(白血病)を発症したのだ。被爆者は、クラスの三分の一を占め、彼はいつか我が身と考えると心配になる。

昭和20年8月6日、みち子の姉の町子は女学校で建物疎開に動員された最中に、米原先生やクラスメートと一緒に原爆の直撃を受けた。一行は、川に入ったが、そのうち一人一人と力なく下流に流されていった。最後まで気を張っていた米原先生も川に沈んでしまった。
みち子はまだ小学生で、爆風で吹き飛ばされて怪我をしたが命には別状がなかった。母と弟の明男は、病院で原爆症を発症して死んだ。
同級生だった遠藤幸夫は疎開していたので、今も生きているが、グレてしまった。
彼の母よし子は、原爆の爆風で梁が倒れて動けなくなり死んだ。父は、長男(幸夫の兄で旧制広島中学)を探して歩き回ったが、結局長男も死んでいた。疎開先から引き返した幸夫と洋子の兄妹は、病院に担ぎ込まれた父に会いにいったが、変わり果てた姿に洋子は父と信じられなかった。彼女は病院を飛び出したきり、幸夫の前に姿を現さなかった。父もすぐ亡くなった。(回想シーン終わり)

雑感

近代映画協会と劇団民藝が作った映画「原爆の子」と同じ子供の作文集「原爆の子」を元にして、一層リアリスティックに広島の惨状を描こうとした作品。
日教組が中心となり、劇団民藝を退団した加藤嘉と戦前からの大女優山田五十鈴(二人は当時夫婦だった)が声をかけて俳優を集めた。月丘雪路は広島出身なので、所属の松竹に黙認してもらい、ノーギャラで参加した。
関川秀雄は、1949年に東宝からフリーになり、東映の「きけ、わだつみのこえ」を映画化した。それから1953年の「ひろしま」を撮ったが、松竹配給の話が流れて広島、長崎以外は教育映画にさえならず自主上映扱いとなった。

当時としては、ホラー映画並みに凄い映像だった。現代になって、単なるCGを加えてリメイクを描いても何も感じないだろう。
だからと言って、当時の手法で描いても、観客に響く部分は少ないと思う。
日教組のいう迫力あるリアルな画面は、被爆した人間が蠢いているだけで気持ち悪いだけと言われる。単にリアルなシーンなら、もっとエグいシーンを他の映画で見飽きているのだ。
リアルな映画が良い映画なんて、今では大嘘だ。

逆に静かに戦後に残された戦争の傷口を見せるような地味な映画の方が、良いと思う。
子供向けには、アニメの表現力を使って、「ハダカのゲン」のアニメ劇場版作品を見せた方が、マシだと思う。ただ、最近のひよっこの何人かは、ゲロを吐くだろう。
昔、NHK少年少女連続ドラマ「タイムトラベラー」で、戦争中にタイムトラベルするシーンは怖かった。

できれば、アニメ映画をジブリにぜひ作ってもらいたかったが、広島の反核運動が分裂してるため、どれにも納得してもらえる作品なんかありえない。
その点、映画「この世界の片隅で」は広島でなく、呉の空襲を扱ったので、上手かった。

 

スタッフ

製作  伊藤武郎
原作  長田新 編集「原爆の子〜広島の少年少女のうったえ」
脚色  八木保太郎
監督  関川秀雄
助監督  熊井啓
撮影  宮島義勇
音楽  伊福部昭

 

キャスト

北川先生  岡田英次
米原先生  月丘夢路
千田先生  神田隆
保母  利根はる恵
遠藤秀雄  加藤嘉
妻よし子  河原崎しづ江
洋子  亘征子
幸夫(生き残った次男)  月田昌也
大庭みね  山田五十鈴
大庭町子  松山りえ子
大庭みち子  町田いさ子
大庭明男  南雅子
河野誠  佐脇一光
仁科医学博士  薄田研二

 

***

みち子は、急激に病状が悪化して、河野ら級友に見守られて亡くなった。幸夫は、葬儀に出席した。
幸夫は、叔父に育てられ、経営する工場で働いていた。しかし、突然工場を辞めて、浮浪児を使って掘り出した、広島港にある宮島の防空壕に放置されている頭骸骨を、原爆記念に外人に売ろうとした。
北川が警察に呼び出されると、幸夫が補導されていた。
北川は、「どうしてこんなことをした」と幸夫に尋ねると、工場で軍事兵器を作り出したから辞職して、浮浪者の仲間に入ったと答える。
北川に連れられて警察から出てきた幸夫を、河野らは「明日は僕らの手で」の合唱で出迎えた。その歌声の輪が、どんどん大きくなっていく。

 

 

 

ひろしま 1953 日教組プロ製作 北星映画配給 原爆の悲惨を描く

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