昭和18年の平和な運動会、昭和19年の対馬丸事件(学童を集団疎開させていた対馬丸が米軍潜水艦の魚雷攻撃で沈没して多くの犠牲者を出した)を経て昭和20年沖縄戦の悲劇的な最期を描いている。
1953年今井正監督の「ひめゆりの塔」(東映)、1962年新東宝(大蔵映画)「太平洋戦争と姫ゆり部隊」に続いて三度目の映画化。(モノクロ映画)
主演は当時23歳になり貫禄さえ出て来た吉永小百合、女子師範学校の総代でみんなを引っ張っていく役だった。同級生役和泉雅子は機銃掃射で足を打たれて歩けなくなり早くに毒を飲んで自害するから、後半に出番は無い。そのかわり同級生役太田雅子(のちの梶芽衣子)のセリフが多くなった。映画主役の本数からすると格下だけに、梶は抜擢された感じがあった。
俳優陣はいつもの浜田光夫、和田浩治、藤竜也が男子校の学生役。目立っていたのは前進座の中村翫右衛門さんが校長先生役で出番もかなり多かった。
Synopsis:
昭和18年、沖縄にはまだ楽しく運動会をする女子師範学校の娘たちの姿があった。男子学生も親族席に紛れて潜り込んで見に来ていた。
昭和19年、最上級生になった和子が教育実習をした子供達が、和子の母の引率で対馬丸に乗り九州に集団疎開することになった。しかし出発を見送ることは、軍部に許されなかった。のちに対馬丸が敵潜水艦の発射した魚雷で沈没したことを島民は知ることになる。
昭和20年3月、いよいよ卒業式の日を迎えたが、教師になることは能わず、従軍看護婦として陸軍と行動をともにすることになる。すでに沖縄本島に米軍は上陸し、徐々に日本軍は後退させられていた。彼女らが働く野戦病院も戦線の後退に合わせて洞窟に移転する。自力で移動できない重症患者には青酸カリ入りの牛乳が配られる。
海軍記念日に米軍は攻撃してこないと噂が立つ。きっと日本海軍が総攻撃をしているからだと彼女らは信じて、水遊びをしていると敵機がやって来て機銃掃射で多くの娘たちが死ぬ。
ついに軍部が撤退してしまい、彼女らの解散命令が出る。とは言え敵の中心を突破しない限り、安全な地域に逃げられない。洞窟に向けた機関銃の乱射で多くの仲間が死に、最後に生き残った和子と後輩の久子も手榴弾で自決して果てる。
Impression:
昭和28年の東映映画「ひめゆりの塔」を見たことがあるが、どうしようもない悲劇を敢えて上品さも忘れずに描いていた。
それと比べると日活映画は、最初の運動会のシーンぐらいしか救いを感じない。
対馬丸事件で沖縄が九州からもかけ離れた土地でしかなく、自分たちで身を守るしかないことを思い知らされる。
翌年3月の記念すべき卒業式に集まるとすでに米軍は上陸しており卒業生は有無を言わせず臨時の従軍看護婦にさせられる。
その後は動ける傷病兵を担いで、泥んこになって敵の機銃掃射から逃げ惑うだけだ。動けなくなった同級生は見捨てるしかなかった。
とくに薬剤不足のため、撃たれた脚は切って処置するしか無かった。その脚をまとめて穴に埋めておくが、敵の機銃掃射で掘り起こされ、回りの木にいくつもぶら下がっている。おそらく実話だが、舛田監督はリアリズムの手を緩めない。
最後に海軍記念日に合わせて戦況が膠着したので、川遊びをする。ところが日本海軍が動いたというのは娘たちを勇気付けようという嘘で、制空権は依然米軍にあり、多くの先生や生徒が機銃掃射で亡くなった。このシーンを見ても舛田監督が徹底的に逃げ場のない恐怖を表現したかったのだろう。
この戦争は止め時を誤った。しかしその責任を取るべきなのは、軍人だけなのか?
Staff/Cast:
監督 舛田利雄
脚本 若井基成 、 石森史郎
企画 高木雅行 、 八木保太郎
撮影 横山実
音楽 真鍋理一郎
美術 木村威夫
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キャスト
吉永小百合 与那嶺和子
和泉雅子 比嘉トミ
太田雅子(梶芽衣子) 島袋ツル
北島マヤ 仲宗根久子
音無美紀子 山辺順子
笹森みち子 新垣勝江
後藤ルミ 当間陽子
乙羽信子 与那嶺ハツ
中村翫右衛門 野口貞信校長
二谷英明 昭喜名秀雄
小高雄二 東風平恵祐
浜田光夫 西里
藤竜也 泉川
和田浩治 大田少尉
嵯峨善兵 大山少将
郷えい治 杉山中尉
高品格 沢田軍曹
東野英治郎 仲地国民学校校長
渡哲也 現代の青年
内藤武敏 ナレーター(青年の声 )