松本清張原作の名短編集「黒い画集」から山岳推理小説「遭難」を石井輝男の脚本で杉江敏男監督が映画化した。白黒映画。
主演はいつも脇役が多かった伊藤久哉、共演は土屋嘉男、児玉清、香川京子

あらすじ

岩瀬秀雄は銀行の仲間である江田、浦橋と共に夏の終わりの鹿島槍ヶ岳に登っている最中に天候悪化のため遭難し、滑落死する。救助隊に助けられた浦橋の詳しい手記を読んで、登山の経験豊富な弟が何故こんな基本的ミスを犯したのかと疑問を抱く。
そこで従兄の槙田に頼み、江田と共にもう一度遭難したコースを登ってもらい、不審な点はないかを調べてもらう。今回は冬山登山だったが、槙田は今こそ東北の電力会社に勤めているが、旧制松本高校出身で鹿島槍にも三回登ったことがあった。
江田と槙田は共に休暇を取り、再び信州に入って登山口から最初の目的地の山小屋を目指す。槙田は浦橋の手記を読んだと言い、ネチネチと江田に質問してくる。特に天気予報ではっきりと天候悪化を予報していたため、何故事前に天気予報を確認しなかったか責めてくる。どうやら槙田は江田が故意に岩瀬を殺したと疑っているらしい。
翌日も晴天となったが、江田の心は落ち着かない。遭難場所で花を手向けて、槙田は江田を訴えると宣言する。槙田は何も言わずに先を急いだ。江田は今夜の列車で東京に帰らなければならなかった。バスの時間に合わせるため、北の斜面を降るコースを選ぶ。そこで江田はついに動機について語った。岩瀬は江田の妻と情を通じていたのだ。そのことを知った江田が行きの寝台列車の中で岩瀬に仄かしたのだ。岩瀬の動揺は大きく、江田が道を間違えたことにも気付かなかった。江田が救助隊を呼んでくると言って離れた際に、体力の消耗が激しかった岩瀬は寒さのせいで気が変になって足を滑らせたのだ。そのとき、槙田は聞き入ってしまい江田の罠に気付かなかった。槙田はまんまと足を滑らせ、何百メートルもの距離を滑落していった。
ニヤリと笑って見下ろした江田だったが、そのとき斜面の上側では大きな雪崩が起きていて、やがて江田を飲み込んだ。

雑感

脚本は新東宝を退社した石井輝男で、軍に召集されるまで東宝の撮影助手であり戦後復員してもしばらく東宝にいたので(1947年東宝争議で新東宝へ移籍)、久しぶりの東宝への里帰りとなった。この後東映に入社して名作「花と嵐とギャング」を監督するので、東宝とのご縁は切れてしまう。
原作と映画ではラストが若干違っている。石井輝男ならば原作通りが好みだと思うのだが、おそらく杉江敏男監督が東宝での先輩としての特権で改変したのだろう。ちなみに「花と嵐とギャング」は東宝に対する義理か、この作品が封切られた週の翌週に封切りになっている。

芥川賞作家松本清張作品の映画化には松竹が一番早く乗り出し、1957年の岡田茉莉子主演「顔」1958年の高峰秀子主演「張込み」佐田啓二主演「眼の壁」を公開し、さらに日活、大映、東映と続いた。大手5社の中で完全に出遅れてしまった東宝は、1960年になってようやく小林桂樹主演「黒い画集 あるサラリーマンの証言」の映画化にこぎつけ、翌年この作品と池部良主演「黒い画集 寒流」と三部作を公開する。この作品だけは何故かキャスティングが地味なのだが、製作期間が当時としては大作並みに一年も掛かっている。夏山シーンと冬山シーン(冬は安全のため、白馬鑓ヶ岳で撮影した)を俳優と一緒に撮影したからだ。そのため普段脇役を演じている伊藤久哉がこの作品では主演を演じている。

松本清張は最初に映画化された「顔」の脚本が改悪されて、それ以来映画会社を信用しなくなり「物申す原作者」になった(最後は自分で制作プロダクションを作った)。だから雪山シーンをセットで撮影することに松本清張は難色を示したのだろう。何しろ清張さん本人が直接登ってみた経験をもとに小説を書いたのだから。
配役は土屋嘉男がもっとも登山歴が長く冬山を登る探偵役に決まり、若手だった児玉清が夏山で遭難する被害者役を割り当てられた。土屋が冬山を登るシーンは、経験者だと思わせる貫禄があった。 ちなみにこういう犯罪をプロバビリティの犯罪と呼び、可能性の犯罪とも言う。立証が困難で、逮捕有罪に持ち込むには自供と状況証拠しかない。

スタッフ

製作 永島一朗
原作 松本清張
脚色 石井輝男
監督 杉江敏男
撮影 黒田徳三
音楽 神津善行
美術 小野友滋
照明 比留川大助
録音 酒井栄三

キャスト

江田昌利 伊藤久哉
浦橋吾一 和田孝
岩瀬秀雄(事故の被害者) 児玉清
岩瀬真佐子(姉) 香川京子
槙田二郎(従兄) 土屋嘉男
江田夫人 松下砂稚子
土岐真吉 天津敏
秀雄の母 那智恵美子

黒い画集 ある遭難 1961.6 東宝東京撮影所製作 東宝配給

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