たった二本の映画で日本映画史に名を残す長谷川和彦監督作品。
田村孟が久々に脚本を書いている。
1969年、千葉県市原市で起きた事件を中上健二が小説にしたものを長谷川が映画化した。
当時の千葉県は成田空港問題があり、高校生らの学生運動が盛んだった。
そういった一人、水谷豊は卒業後も、職を持たずブラブラしている。
父親内田良平は自分の土地にスナックを建てしばらくの間、息子にやらせる。
軌道に乗ったら、息子を追い出して自分でやる気だ。
しかし息子は近所の片耳が聞こえない女原田美枝子を連れ込んで、楽しくやってる。
父親は息子を自宅に呼び戻し女と別れろと諭すが、喧嘩になる。
気がつくと息子は父親を刺し殺していた。
市原悦子はその様を見て動転し、分けのわからないことを言っていたが、ついに無理心中を覚悟して、息子に刃を向ける。
格闘の末、再び立ち上がったのは息子だった。
両親の死体は風呂場に隠し、スナックへ戻った。
店は客で盛り上がっていたが、全員追い返し、憂さ晴らしに女を抱こうとする。
そのとき、高校時代の旧友(江藤潤、桃井かおり、地井武男)が店にやってきた。
結婚式の打ち合わせをする約束だったのだ・・・

2時間フルバージョンのデラックス版と聞いていたが、オリジナルをカットした部分もいくつかあったようだ。
それにしても市原悦子が刺し殺されるシーンは、本当に痛そうだったなあ。
よほど急所をつかないと刺殺も悲惨だ。
「太陽を盗んだ男」と比較してこの映画が違う点は、最初にすべての原因を明らかにしてしまうこと。
母親市原悦子の態度を通して、息子水谷豊がいかに甘ったれた子どもであったかが、わかる。
両親は子どもを手元から離さない。
母親はひたすら甘やかし、父親は息子に与えては、また取り戻す。
それに対して、息子の感情は今にも爆発しそうだった。
そして「あのとき」破裂したのだ。
しかし、映画が終わってからの余韻を感じなかった。
太陽を盗んだ男」の場合、
まさか沢田研二が生き残るとは思わなかったため、
終わってからの虚脱感は酷いものだった。
警察に逮捕されるか、死ぬか、いずれにせよそういう形で終わるだろうと思っていたら、
最後に「父親」を象徴する菅原文太を殺してしまい沢田は生き残るのだから、
見ていて無間地獄へ堕ちたかのように救いがなかった。
印象に残った役者は、脱ぎっぷりが良かった原田美枝子である。
まだデビュー間なしで台詞も棒読みだったが、そんなことどうでも良くなる胸の形だった。
ゴダイゴのデビュー盤のプロモーションと提携している。
これが絶妙だった。
まだ西遊記のポップス路線でなく、遅れてきたポップロック、フラワージェネレーション、プログレと言おうか、独特のサウンドがマッチしていた。

青春の殺人者 1976 ATG

投稿ナビゲーション


青春の殺人者 1976 ATG” への0件のフィードバック

  1. かどぅと申します。TBありがとうございました!
    昔の日本映画の持つ、独特の情景やローカル性は今見ても新鮮なものが多いですよね。昔のドラマや映画のリバイバルブームの中、ひょっとしたら「青春の殺人者」あたりも再び採り上げられるかも知れませんね。
    クラシック映画専門ブログということ、今後とも楽しみに拝見させていただきたいと思います。。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です