昔、ラジオ・パーソナリティ浜村淳がよく土曜夜の2時間番組「サタデー・バチョン」でこの映画について語っていた。
戦争の悲劇を描いた作品で、上映当時ヒットした。
チャップリンの娘ジェラルディン・チャップリンが主演して、「シェルブールの雨傘」のニーノ・カステルヌオーボが相手役。

 

あらすじ

 

ユーゴの田舎の村で教師の父親と子供たち(姉レンカ弟ミーシャ)が暮らしていた。彼らはユダヤ人で、姉はお年頃だが、ミーシャはほぼ盲目だった。
しかし第二次大戦の戦火は瞬く間にバルカン半島を覆い尽くし、父親は出征して捕まり収容所に入れられる。
姉は手伝いをして細々と暮らしを立ててミーシャの面倒をよく見たが、たまに一人になりたいと思うことがあった。
ある日村に駐在するナチスが来て、父が死んだと知らされる。
幼いミーシャに知られてはならない。視覚障害ゆえに勘が鋭いのだ。一人で悩みを抱え込んだときは、弟を他人に預け、パルチザンとなった恋人のイヴァンに会いに行って二人きりの時間を過ごした。
ところが実際は父は生きていて、収容所から脱走して家に帰ってきた。家族は大いに喜んだが、周囲の人々はナチスの報復を恐れ、脱走兵に対して冷たい視線を向けるようになった。
ナチスが探し回っているため、父は家から出られず、窮屈な思いをする。
イヴァンは父のために偽名の旅券を造りに行くが、撃たれて帰ってくる。父はイヴァンの身代わりになってナチスに銃殺される。
今度は負傷したイヴァンを匿うが、周りの人の目がますます冷たく感じられる。
ついに村にもナチスによるユダヤ人の収容所移動が始まった。レンカはイヴァンのことを村の医師に任せ、ミーシャに街へ行くと言って、列車に乗せる。

 

雑感

 

イタリア映画はいつも吹き替えが甘くてセリフがズレている。この映画はあくまでイタリア向けだったのだろうが、それでもジェラルディン・チャップリンの口とセリフが合わない。
内容としては、ナチスに抵抗する戦士である恋人を村の医師に任せ、視覚障害の弟を一人にできないので、ともに収容所行きの列車に乗り込む話だ。
今見ると、いささかお涙ちょうだいの感はある。
弟がいなければ彼女はどういう判断を下しただろうか?
ところが、よく調べると原作者は監督の妻であり、原作は自伝らしい。おそらく事実に基づいたものであろう。原作者には実際に弟がいたのだ。
そう言うことを頭に入れて見ると、悲しみの過剰感も理解できて、全く風景が違って見えてくる。これは後悔の記録である。

 

スタッフ・キャスト

 

監督        ネロ・リージ
原作  エディス・ブリュック (ネロ・リージ監督の妻、自伝小説「街へ行く」)
脚色  エディス・ブリュック 、 ネロ・リージ 、 チェザーレ・ザヴァッティーニ 、 イェジー・ステファン・スタウィニュスキー
撮影  トニーノ・デリ・コリ
音楽  イヴァン・バンドール (ユーゴスラビア人作曲家)

配役
レンカ  ジェラルディン・チャップリン  (ドクトル・ジバゴ)
弟ミーシャ  フェデリコ
父ラクト  A・ガブリック
恋人イヴァン ニーノ・カステルヌオーボ (シェルブールの雨傘)

 

悲しみは星影と共に Andremo In Citta 1965 イタリア製作 日本ヘラルド配給

投稿ナビゲーション