初めに運転手が煙の充満する車内に閉じ込められて逃げようともがいている。周りの車に乗っている者たちは、無表情にただ見つめるだけ。そのうち何とか外に抜け出すと風に乗って空を舞う。いつの間にかその運転手は凧になっている。砂浜に横たわっていた男が紐の先を持って地上に引き戻そうとするが、運転手は紐が外れて海に落ちる。

 

一流映画監督であるグイド(マルチェロ・マストロヤンニ)の悪夢だった。彼はスランプに悩まされ肝臓病を患い湯治中だった。彼は外来診察の最中で眠ってしまったが医師と看護婦によって起こされる。

 

温泉地では老人や有閑マダムが屋外に集まっていて、そこではワーグナーの「ワルキューレの騎行」を田舎楽団が演奏している。女たちが温泉水を汲んでお客に振る舞う。グイドも列に並ぶと、美しいクラウディア・カルディナーレが水を汲んでくれる妄想を見るが、現実はおばさんだった。
脚本家はグイドにはっきり「この話に前提がない、訳の分からぬエピソードの羅列だ」とダメを出す。

 

愛人のカルラがたくさんの荷物とともにやって来る。そして二人で暇そうなレストランに入り昼食を摂る。カルラは寝室に付いてきたがグイドが出て行けと言うと他の男と寝ると言い出し、仕方なくベッドに招いて抱く。

 

賢者タイムで眠りにつき、両親や昔のプロデューサーが夢に出て来る。父は気の利いたことを言わずに消えてしまい、母はできることをしろと言うがその姿はいつの間にか妻ルイザ(アヌク・エーメ)になっていた。

 

翌日から湯治場に仕事関係者が集まってきた。まだプロデューサーに脚本を見せていないし、俳優に役柄を伝えていない。夜には古い友人の道化師がやってきてテーブルを盛り上げる。グイドは彼を占ってもらう。すると占いを受信した老婦人はアサニシマサという文字を黒板に書く。

 

幼い頃の回想:
子供の頃、大家族でもグイドは母親にとくに愛されて育てられた。ある夜、肖像画の目が動くと妹は言う。そのとき呪文を唱えると呪われない、その呪文がアサニシマサだった。

 

現実では、ローマにいる妻ルイザから電話がかかる。そこでグイドは妻にSOSを出す。すでに制作部門から仕事を求める声が上がり始めている。夜一人で部屋に戻ると再び妄想のクラウディアが現れる。

 

グイドは宗教上の問題がないか枢機卿と会って話し合えとプロデューサーに言われている。そこで枢機卿と面会するが、禅問答のような問いに興味が持てず、太ったおばさんの肌蹴た足が気になって仕方がない。

 

学生時代の回想:
近くに太った娼婦がいて、子供達がお金を渡すと踊り出す。グイドが踊らせていると、神父様に捕まり娼婦は悪魔と教えられた。しかし彼には信じられない。

 

再び現実に戻る。脚本家がグイドのカトリック批判の甘い点をついて来る。サウナに入っているとグイドは枢機卿に呼び出される。しかし彼は「教会の外に救いはない」と言うばかり。グイドの強迫観念が幻想を見せているのだろう。

 

そこへルイザが到着し、全員揃って撮影現場へ行く。そこには高い足場が組まれた塔があり、宇宙船の発射台も作られていた。グイドは不安定なルイザの心配をしつつ、友人に映画に対する自信のなさを告白する。どこで間違えたのだろう。

その夜グイドが寝ているとルイザが帰って来る。亭主は妻の側で安らぎたいと思っていたが、妻は浮気について突っかかって来る。
そして翌朝早くも愛人と修羅場に。すると突然ハリウッド映画のようにグイドは夢のシーンに逃避し、グイドと愛人が全員で楽しいクリスマスを過ごす。しかし愛人にも70歳定年制があり、今日も寂しく一人で二階に送られる。

カメラテストを映画館を貸し切りにしてみんなで見る。そこに出てきたのはルイザを演ずる女優だった。ルイザ本人はいたたまれなくなり、その場を去る。
そこへCC本人が登場。憧れの女優と心ときめかせるグイドだったが、実際に話すとイメージと合わないことがすぐ判明し、出演は見合わせることになる。そして撮影はプロデューサー主導で始められる。

グイドは制作発表になっても尻込みを続ける。新聞記者からは容赦のない質問がぶつけられ、彼は机の下に潜り込み銃を頭に向ける。解散後、彼は監督を降りてセットも畳もうとする。

そのとき彼の前に、今までの人生で関わった人々が現れ、彼は愛に包まれる。そしてみんなで輪を作りダンスを踊って退場する。

 


 

感想文を書くほどの度胸はない。二度目の視聴だが、一度目に見えなかった部分が見えてきた。この映画は象徴主義を使っているが、決してエピソードの羅列ではない。テーマはいたって個人的主観的な問題である。とのこと、女性関係、賞を取ってしまった監督にかかるプレッシャーのこと。

まだ見ていない映像作家の作品はいっぱいあるが、このエンディングは最高のものだと思う。ボブ・フォッシーの「オール・ザット・ジャズ」、庵野秀明のテレビアニメ「新世紀エバンゲリオン」最終回や押井守「ビューティフル・ドリーマー」のエンディングもあったが、あれらは多少ニュアンスを変えたオマージュだろう。

昔からフェリーニ監督の「道」が好きだった。社会人になって衛星放送に入って見た「カリビアの夜」も好きだった。とくにネオリアリスモのフェリーニ監督とジュリエッタ・マシーナの組み合わせが好きだった。
ところがジュリエッタが出なくなった「甘い生活」「8 1/2」が象徴主義に走りすぎて、付いて行けなくなり、それから先のフェリーニは見ていない。

今回、「8 1/2」をニコ生でタイムシフト録画していてもなかなか見る勇気がなかった。しかし視聴期限が近付き、仕方なく見ることにした。そして驚いた。

実は昨年手術をした。12時間全身麻酔を掛けられていたので、麻酔から目覚めても酷い後遺症が残った。夜、目覚めていると天井に群衆の幻が現れ、踊り出すのだ。彼らが語っているのはフランス語だったりイタリア語だったり、天然色だったり白黒だったり。目を瞑っても消えない映像は時に笑いを誘うが、それ以外は不安を駆り立てる。ホラーでないが、死を深く印象付ける。そしていつの間にか朝が来る。
それが3日ほど続いたので、担当医に頼んで睡眠薬をもっと強力なものにしてもらい、やっと治った。慎重に手術するため麻酔をかけすぎたらしい。

フェリーニ「8 1/2」の映像を見ていて、驚いたのはその時見た幻とよく似ていたからだ。一度見ただけの映画の情景が深層心理から上がってきて幻を見せたのだろうか。「甘い生活」も見たことがあるから、二つが入り混じっているかもしれない。ただ幻の映像はこの映画よりずっと深刻なテーマを描いていたようだ。その辺は心に刻み込まれているテオ・アンゲロプーロス監督の「永遠と一日」の影響だろう。
どうであれ、好きなアンゲロプーロスと苦手意識のあったフェリーニの映像が頭の中から湧いてきて頭がおかしくなるという不思議な経験だった。

 

ところでこの作品は白黒映画だが、最近の若い子は白黒フィルムを知らなかったり、汚いものだと思い込んでいるらしい。だから白黒映画がテレビから駆逐されるようになった。こうなるとフィルム映画とカラーCG映画と分けて扱って欲しい。残り少ない人生、フィルム映画を見るだけで十分時間を潰せる。

 

なお日本は1965年初公開。

監督 フェデリコ・フェリーニ
脚色 フェデリコ・フェリーニ 、 トゥリオ・ピネリ 、 エンニオ・フライアーノ 、 ブルネロ・ロンディ
製作 アンジェロ・リッツォーリ
撮影 ジャンニ・ディ・ヴェナンツォ
音楽 ニーノ・ロータ

配役
マルチェロ・マストロヤンニ
クラウディア・カルディナーレ
アヌーク・エーメ
サンドラ・ミーロ
ロッセーラ・ファルク
バーバラ・スティール
グイド・アルベルティ

8 1/2(フェリーニ) イタリア 1963

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