谷口千吉の長編監督デビュー作で、三船敏郎にとっても俳優デビュー作、伊福部昭も映画音楽家としてはデビュー作。
谷口が山岳愛好家なので自ら冬の日本アルプスでロケを行った山岳アクション映画。伊福部昭と谷口は映画音楽のことで揉めたが、仲裁をしたのは脚本を書いた黒澤明。

 

志村喬小杉義男三船敏郎の三人組は銀行強盗。長野、冬の温泉宿に逃げ込む。ところが三人組であることと外見がラジオで伝わって他の客にばれてしまい、さらに奥地へ逃げる羽目に。途中で雪崩が発生して小杉義男は亡くなるが、捜索隊の足止めにもなり、二人は山小屋に逃げ込む。幸いそこのラジオは故障中で、唯一の通信手段は伝書鳩だけ。それも夜中のうちに始末してしまう。しかしここから麓に下りるには、たまたま山小屋に滞在していた名クライマー河野秋武に導いてもらわねばならない。一方、志村喬は山小屋の娘若山セツ子に死んだ娘の面影を見ていた。一向に腰を上げようとしない志村に三船敏郎は怒り、河野に娘を助けたければ案内しろという。かくして河野、志村、三船の一行は山岳ルートを登り脱出を図る。もっとも危険なポイントで河野は身を挺して二人をすくい上げるが、負傷してしまう。三船はもう案内は不要だから放置しろと言うが志村はそんな酷いことはできないと格闘になってしまう。

 

三船敏郎に乱暴者をやらせたら、右に出るもの無しだ。でもそれを倒してしまう志村喬も凄い。

ただ、この映画でポイントを稼いだのは、1位河野秋武、2位若山セツ子だ。

河野のこれほどまで格好いい演技は見た覚えが無い。また若山セツ子は出番こそ少ないが、とてつもない愛らしさを訴えてくる。

1947年の作品だが、「青い山脈」で若山セツ子に夢中になった人は遡ってこの作品を見るべきである。

 

監督 谷口千吉
脚本 黒澤明
音楽 伊福部昭
撮影 瀬川順一
配役
志村喬
河野秋武
三船敏郎
若山セツ子
小杉義男
高堂国典

 

若山セツ子は当時東宝ニューフェイス(三船敏郎、久我美子と同期)としてデビュー直後であり、見た目は15歳ぐらいふっくらしていたがもう18歳になっていた。1949年に「青い山脈」に出演してスターの仲間入りするが、同年谷口千吉監督と早くも結婚。7年後に離婚して1961年頃からしばらく休んでいたが1971年テレビで復活。しかし母を病気で失い精神のバランスを崩して1985年に亡くなった。一方、谷口は初婚は脚本家の水木洋子で若山とは再婚だった。若山と離婚後、1957年八千草薫と再々婚をして、70歳ぐらいで第一線から離れ、95歳で亡くなるまで悠々自適な人生を送った。早死にした若山と好対照な人生だった。

 

 

 

銀嶺の果て 1947 東宝

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