アメリカという国の成り立ちを理解するために重要なホーソーン文学を映画化している。
ドイツもプロテスタント宗教改革を通った国なので、強い関心があったのだろう。
 
原作前半を思い切ってカットしているが、構成上の意図はかなり奏功している。
結末も改変しているが、この可否判断は観た人に任せる。
私は映画「スカーレット・レター」(1995)と比較すれば、許せるものだと思った。
 
監督はヴィム・ヴェンダースで、第三作目で古典文学を扱った。おそらくドイツに読者は多いのだろう。その層にぶつけた作品だと思われる。
しかし監督個人は編集や美術に問題があると考えているようで、あまり好きな作品でないようだ。

邦題は「ひもんじ」と読む。
 

あらすじ

 
17世紀、アメリカにイングランドから信仰の自由を求めて清教徒が続々と渡航してきた時代。
映画の最初で、ボストン入植地に医師チリングワースが渡ってくる。実はチリングワースは、当初ボストンに到着する予定だったが、シケでネイティブ・アメリカンの居住地に上陸して長年に渡り苦労を重ねてきた。
彼が街を歩いていると、ひとりの女がさらし者にされているに気付く。それはかつてイングランドで結婚したへスタだった。別の船でボストンに渡った彼女は、新夫が行方不明になってから、娘パールを出産し不義の罪で緋文字Aを衣服に付けさせられていた。
チリングワースは今さら夫だと名乗り出るつもりはなかったが、妻を奪った愛人に対する復讐心で犯人捜しを開始する。へスタを最も糾弾している牧師デムスデールがたびたび発作で倒れる。どうやら心の病らしい。ヘスタの口は固かったが、デムスデールが愛人だとチリングワースは確信した。
そんな時、イングランドから荷を運ぶ船がやって来た。この船でヘスタは、パールの教育のため英国に戻ることを決意する。デムスデールにも一緒に来るように説得するが、彼は皆の前で罪の告白をすることを選ぶ。告白後、彼は気を失い、誰も見ていない部屋で原理主義者の総督によって縊り殺される。いつまでも来ない彼を見捨てて、ヘスタとパールは英国に帰る船に乗り込む。

 

雑感

 

主人公のヘスター・プリンは、毅然として自分らしく生きている女性だった。宗教上の悔恨はあるが、やったことを償うという腹のすわった女である。(ちなみに原作では晩年にボストンに帰ってくる)
ゼンダ・ベルガーという女優さんは十分に魅力的な人だが、「女」である部分はこの作品であまり描かれていない。
 

イェラ・ロットレンダー演ずる少女パールの外見は非常にいたいけなのだが、同時に子供たちの中でいつも苛められて孤立しているため、変わり者に見える。原作では、さらに精霊のような雰囲気を醸し出している。
ヴィム・ヴェンダースは子役を演出するのが上手いのだろうか?いや「都会のアリス」を見ると、天才的子役の資質によるものだと思った。
この作品で彼女がリュディガー・フォーグラー(水夫役)に懐いたのが、次回作「都会のアリス」のきっかけになったと言う。
 

 
それと比べてデミ・ムーア主演「スカーレット・レター」(1995、監督ローランド・ジョフィ)のナンセンスさ。アメリカの根幹をなす文学を、どうすればここまで改悪出来るのか。ここまで進歩的な女性を描いてしまうと、宗教を否定してしまったように見える。
いくらユダヤ人の監督と主演コンビだとしても、ここまでやって良いのかと思った。

スタッフ・キャスト

 

監督/脚本 ヴィム・ヴェンダース
製作 ヴィム・ヴェンダース/トーマス・シャモーニ
原作 ナサニエル・ホーソーン
撮影 ロビー・ミュラー
編集 ペーター・ブルツィゴッダ
音楽 ユルゲン・クニーパー

出演
ゼンダ・ベルガー(ヘスタ・プリンヌ)
ハンス・クリスティアン・ブレヒ(チリングワース)
ルー・カステル(デムスデール)
イェラ・ロットレンダー(パール)
リュディガー・フォーグラー(水夫)

 

緋文字 Der Scharlachrote Buchstabe (The Scarlet Letter) 1972 西ドイツ製作 ホーソーン原作の宗教小説の映画化

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