1963年、東京オリンピックのキャンペーンソングはコロムビア所属の古賀政男作曲で作られた。しかしコロムビアが独占するのでなく、競作の形で各社が発売した。例えば橋幸夫、三橋美智也、藤山一郎、北島三郎、坂本九などが吹き込んでいる。

しかしその中で抜きん出て売れたのが、テイチクの三波春夫の唄であった。祝い事には三波春夫というイメージが定着していたのだ。

東京オリンピックは1964年10月10日に開催されたが,同年9月9日に五輪開催を記念して三波春夫主演で同名映画「東京五輪音頭」が公開される。

 

取り立てるほどの映画ではないが、日活ニューフェース第7期生である山本陽子の台詞が多くて実質的デビュー作だそうだ。学生をしながら芸者修行中という設定だが、日本舞踊の基本がなってなかったw。でも十朱幸代よりは美人だったし、元々女優の素質はあったようだ。

 

 

この写真の十朱幸代の右に写っているのはモブ役の山本陽子の同期である谷隼人
すぐ日活を辞めて東映に移籍した。

 

Synopsis:

築地市場で魚卸売業を営む源造の娘ミツ子は女子大生だ。築地市場で働く正光は、ミツ子と幼なじみだった。

ブラジルで成功したキヨが、東京オリンピックを観戦するために久しぶりに東京へ戻ってくる。キヨは正光をブラジルに連れて帰り,後継者として育てるつもりだ。

ミツ子は祖父に内緒で水泳部に所属していたが、記録が伸びたためオリンピック予選会に出場するようにコーチから要請される。

源造祖父さんは、息子が五輪を目指して果たせず失意のまま交通事故にあって死んでしまったので、孫ミツ子の五輪参加について絶対反対だった。

そこで水泳部コーチや寿司屋の松吉さんが説得に出馬して、何とかミツ子の五輪強化合宿参加を認めさせる。

しかし五輪予選直前になってミツ子の成績は伸びを欠く。
心配になった勇が親友れい子に尋ねると、正光と別れるのが原因だと言う。
そこで勇は正光の代わりにブラジル行きを承諾し、ミツ子は予選で優勝して五輪出場を決める。

 

 

 

映画の最後二十分間は浪曲演歌「俵星玄蕃」から「東京五輪音頭」と歌い継いだ。しかも三波のコンサート録画という安普請。三波春夫ファンでなければ、有り難みはないだろう。

 

しかし舞台で鍛えているので、お芝居は非常に達者だった。

 

 

監督 小杉勇
原案 石森史郎
脚色 高橋二三 、 国分治
企画 茂木大輔
撮影 中尾利太郎
音楽 小杉太一郎

 

出演
三波春夫 松吉、本人役
十朱幸代 藤崎ミツ子
上田吉二郎 藤崎源造
和田浩治 青木正光
山内賢 栗田勇
山本陽子 松宮れい子
岡村文子 青木キヨ (「愛染かつら」の婦長役で有名)
谷雅江 森みどり
山田吾一 阿部弘
上野山功一 河野コーチ

 

[amazonjs asin=”B00HF5030K” locale=”JP” title=”東京五輪音頭 DVD”]

 

東京五輪音頭 1964.9 日活 22歳の山本陽子が見られる

投稿ナビゲーション