原題は、主人公の作詞家ガス・カーンが1924年に作った名曲だ。
彼は1886年ドイツ生まれのユダヤ人で幼少期に一家でアメリカに移住し、ティンパンアレイで活躍し30歳で作曲家兼マネージャーであるグレイス・ルロイと結婚した。その後1920年代はブロードウェイで、1930年代はハリウッドで活躍した。この映画の製作時点ではガス・カーンは既に亡くなっていて、未亡人グレイス・カーンの監修で映画を作ったそうだ。製作はルイス・F・エーデルマンで監督は「カサブランカ」のマイケル・カーティス、主演はドリス・デイ、ダニー・トーマス

 

日本には「夢で逢いましょう」というバラエティ番組(NHKテレビ:1961.4-1966.4)があり、おそらくNHKの方が先に邦題をつけている。しかし番組の音楽監督であり表題曲「夢で逢いましょう」の作曲家中村八大はジャズ・ピアニストであるから、このアメリカ映画を知っていたはずで、バラエティ番組の邦題は映画の原題と何らかの関わりがあるものと思われる。

 

あらすじ

ティンパンアレイに売り込みにやって来た青年ガス・カーンは、作曲家兼ピアニスト兼歌手のグレイスと知り合いクリエイターとしての刺激を受けてついに初めてのヒット曲を生み出す。やがて二人は結婚してシカゴで細々と作詞を続けていたが、ニューヨークの大プロデューサーであるフローレンツ・ジークフェルト・ジュニアからお呼びが掛かり、作曲家ウォルター・ドナルドソンとペアを組んでミュージカルに挑戦する。グロリア・ナイトが歌った「ラヴ・ミー・オア・リーヴ・ミー」が大ヒットするが、独身生活で調子に乗っているガスをグレイスは嗜めに行く。
しかし大恐慌が訪れ、ガスの書いた曲を誰も見向きもしなくなる。グレイスはコネを使って根回しして、ハリウッドからガスは招かれる。そしてミュージカル映画「空中レヴュー時代」などの作詞担当で再び脚光を浴びる。
ガスのヒット記念パーティーが、永年のコンビである作曲家ウォルターの司会で始まり、ガスが台上に招かれる。ガスは挨拶もそこそこにして妻グレイスを呼び寄せ、感謝の気持ちと愛を告げる。

 

雑感

ええ話や。大作詞家ガス・カーンも縁の下の力持ちである妻グレイスがいなければ成功できなかった。映画の中の彼女はプロデューサーであり、ピアニストであり、歌手であり、批評家であった。これは専業主婦が見ても必ず楽しめる映画である。

 

ただし、コール・ポーターの偽伝記映画「夜も昼も」のように、音楽家の伝記映画に過度の脚色は付き物である。未亡人の監修が入っている以上、未亡人寄りの解釈になっても仕方がない。おそらく家政婦アンナがもう一人の縁の下の力持ちだろう。

 
グレイス(ドリス・デイ)がジークフェルトのミュージカルで舞台でグロリア・ナイトの歌う「ラヴ・ミー・オア・リーヴ・ミー」を聞いて夫の不貞を疑うシーンがある。ミュージカル映画「情欲の悪魔」を見た人なら分かる通り、この曲は「情欲の悪魔」主題歌でドリス・デイが最も輝いている歌だ。その歌を5年ほど前には吹替と言え、嫉妬に駆られて聞いているとは奇縁である。
 
ダニー・トーマスと監督マイケル・カーティスは翌年再び組んでリメイク版の「ジャズ・シンガー」を撮っている。

スタッフ・キャスト

 
監督 マイケル・カーティス
製作 ルイス・F・エーデルマン
原作 ルイス・F・エーデルマン「ガス・カーン物語」
脚本 ジャック・ローズ、メルヴィル・シェヴェルソン
撮影 テッド・マコード
音楽 レイ・ハインドルフ

 

配役

妻グレイス ドリス・デイ
ガス・カーン ダニー・トーマス
作曲家ウォルター・ドナルドソン フランク・ラブジョイ
歌手グロリア・ナイト パトリス・ワイモア(歌の吹替:ボニー・ルー・ウィリアムズ)
フレッド・トンプソン ジェームズ・グリースン
家政婦アンナ メアリー・ウィックス

 

夢で逢いましょう I’ll See You in My Dreams 1951 ワーナー・ブラザーズ製作・配給 (日本未公開)

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