戦後、石井桃子が文部大臣賞を得たベストセラー児童文学を、倉田文人が村山節子と共同で脚色し、倉田文人が監督する。撮影は小原譲治である。白黒映画。
主演は当時天才少女ヴァイオリニストだと騒がれていた鰐淵晴子
共演は「山の音」以来、病気療養中だった原節子が母役で出演するほか、藤田進、徳川夢声、大泉滉などが出演。

あらすじ

小学三年生になったばかりのノンちゃんは木にのぼっていたが、誤って池に落ちた。するとお爺さんに助けられ、気がつくと雲に乗っている。お爺さんはノンちゃんのお話を聞きたがる。ノンちゃんは学校のお話をすると、同級生の長吉が現れる。ノンちゃんは長吉と一緒に先生に注意されたことや、長吉が悪さをしたので先生に言いつけたことなどを語った。
それからお家の話をした。家には父、母、兄と犬のエスがいる。父はあまり自分から語らず何を考えているか、どこで働いているかわからない。母は世界で最も優しい存在だ。ノンちゃんは病気療養のため、空気の悪い東京から郊外に引っ越した。お爺さんと話しているうちに、母が雪子という名であることに初めて気づく。兄は源平合戦に出てくる那須の与一のファンだ。いつぞや同級生に揶揄われているところを那須与一の格好をして助けてくれたことがあった。ノンちゃんは兄が母に叱られた話をした。そのときは、なかなかごめんなさいと言えずに兄は泣き出した。
次にお爺さんはノンちゃん自身のことを話してくれと言った。ノンちゃんは、祖母の祝い事で母と一緒に上京するはずだった。ところが母は兄と二人きりで東京に行ってしまった。ノンちゃんはそれを父から聞いて泣いた。そして家から飛び出して、さっき池に落ちたのだ。
お爺さんは嘘を吐けば家に帰してあげるといったが、ノンちゃんは嘘を吐けない。お爺さんは「それで良いのじゃ」と言った。周囲に可愛いバレリーナが沢山現れて、ノンちゃんはバイオリンで「ユーモレスク」を演奏した。さらにバレリーナの格好で舞った。そして、お爺さんはノンちゃんを雲にのせて家に返してくれた。
気付くと、池で溺れて助けられてから家の布団で眠ってしまい、やっと気付いたノンちゃんを母や医者が見つめていた。

雑感

同年のカラー映画「緑はるかに」(1955)の浅丘ルリ子(15)が霞んで見える完璧美少女鰐淵晴子(10)の初主演作。学校で見る児童映画としては、新東宝製作なので特撮技術が弱くて残念だが、それでも彼女の魅力を最大限に活かした作品だ。配役も面白くて、父親役藤田進と母親役原節子の間にオーストリア人ハーフの鰐淵晴子が生まれたとしても、別に不自然ではない。他に詩人役で大泉滉、トラック運転者役に名古屋章を起用している。
原作では小学二年生の設定だが、映画では三年生になっている。しかし三年生だったら、親が自分の体を気遣う配慮に気づくべきだろう。原作者はムッとしていると思う。

彼女は8歳からバイオリニストとして活動していた。父は著名なバイオリニストで戦前にNHK交響楽団で黒柳徹子の父の次にコンサート・マスターに就任したことがある。母はオーストリア人で、ハプスブルグ家のお姫様だった。そのため鰐淵晴子は幼少期からバイオリンとバレエのお稽古を欠かさなかった。ドイツ語もペラペラである。おそらく絶対音階を有していると思われ、歌唱力も高かった。その技能を活かすため、原作を快活なミュージカル風脚本に改変している。

鰐淵晴子はこれで演技に興味を持ってしまい、4年後松竹映画に入社してしまう。しかし松竹では年上の岩下志麻(1941年生)、桑野みゆき(1942年生)、加賀まりこ(1943年生)と言う親の七光軍団の壁が厚く、若い世代のGS青春映画は3歳下の尾崎奈々、中村晃子(1948年生)に席巻されてしまった。でも彼女が早熟だったわけでもなく、50歳になってようやく毎日映画コンクール女優助演賞を受賞する。
俳優になりたければ、なぜ宝塚音楽学校を目指さなかったのかと思ってしまう。そうすれば、映画会社の情報も入ってくるし、これからはテレビの時代ということも分かったろうに。

 

代表的舞台が「ガラスの仮面」の姫川歌子役とならなかったと思う。ちなみにこの時のマヤは大竹しのぶ、亜弓は藤真理子。

戦前の児童文学は1880年代生まれの「赤い鳥」の創始者鈴木三重吉や「赤い蝋燭と人魚」の小川未明に始まり(教養小説「次郎物語」の下村湖人、「路傍の石」の山本有三も同世代)、1890年代生まれの「泣いた赤鬼」の浜田広介や松竹映画になった「風の中の子供」原作の坪田譲治、さらに宮沢賢治が第二世代、「赤毛のアン」の翻訳者村岡花子も同世代だ。
1907年に第三世代の一人として石井桃子は生まれた。出版社の編集者として働いていたが、やがて英米児童文学の翻訳者として独立する。しかし戦時中には活動が禁止され、児童文学「ノンちゃん雲に乗る」の執筆を開始する。戦後になり1947年にこれを出版して、4年後の1951年に第一回芸能選奨文部大臣賞を受賞する。彼女の代表的翻訳書としては「くまのプーさん」シリーズ、「ピーター・ラビット」シリーズがある。
井伏鱒二によれば、太宰治は彼女のことが好きで、気を利かして井伏は戦後間もなく彼女に太宰治の住所を教えるが、彼女は連絡しなかった。太宰の死後、石井は「私だったら太宰治を死なせることはなかったのに」と言ったら、井伏に「だから君に連絡先を教えたのに」と切り返された。

(1913年に「ごんぎつね」の新美南吉が生まれるが結核で夭折した。戦後すぐ早稲田大学童話会が誕生するが、1950年代に学生運動に傾きプロレタリアート文学としての児童文学が提唱される。代表的な存在は「あばれはっちゃく」の作者山中恒)

 

スタッフ

製作 熊谷久虎 、 中田博二
原作 石井桃子
脚本 倉田文人 、 村山節子
監督 倉田文人
撮影 小原譲治
音楽 飯田信夫

キャスト

ノンちゃん  鰐淵晴子
兄タケシ  高崎敦生
父  藤田進
母  原節子
父方の叔母  小沢路子
白髭のお爺さん 徳川夢声
級友長吉  石井秀明
山口先生  臼井正明
川本先生  倉田マユミ
田村医師  木崎豊
運転手   名古屋章
青空詩人  大泉滉
バレリーナたち  谷桃子バレエ団
ナレーター   阿里道子

 
ノンちゃん雲に乗る 1955 新東宝製作・配給

投稿ナビゲーション